〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-W』 〜 〜
平 治 物 語 (下)

2012/09/18 (火) 頼朝遠流に宥めらるる事 付けたり 呉越戦ひの事 (四)

重盛、池殿にこの由申されければ、涙を流したまひて、 「あはれ、こひ しき昔かな。忠盛の時ならば、これほどかろ くは思はれ奉るまじ。過去くわこ に、頼朝に が命を助けられてありけるやらん。聞くよりしていたはしく、不便ふびん に思ふなり。頼朝 られば、われ も生きてなに かせん。干死ひじ にせん」 とて、湯水ゆみづ をも飲み入れたまはず、しづ みて泣かれければ、重盛、このよし 聞き、清盛の御まへまゐ りて申されけるは、 「池殿いけどの こそ、 『頼朝斬られば、あま も干死にせん』 と、御歎き候ふなるが、既にかぎ りとうけたまは り候ふ。年 い、おとろ へさせおはしまし候へば、ただ今もむな しくならせたまふこと候はば、清盛は賢臣けんじん弓取ゆみと りとこそ聞きつるに、老い衰へたる母の尼上あまうへ の申す事をかな へずして、むな しくなしぬるは、 『継母けいぼ継子けいし の中にてこそ、かようにはあれ』 など、人々申し候はば、御ためにははばか りにて候ふものを。頼朝を斬られ候ふとも、なからん果報くわほう たるべきにでも候はず。助けさせたまひて候ふとも、あらん果報 すべきにても候はず。当家たうけ運末うんすゑ にならん時は、諸国に源氏多ければ、世を取らんこと、何か疑ひ候ふべき」 と申されければ、清盛、道理ことわり にや思はれけん、十三日に斬るべかりし頼朝を、流罪るざいなだ かれけり。

重盛は、池殿に、父の意向を伝えた。池殿は涙を流して、 「ああ、昔が恋しい。忠盛の代ならば、こんなに簡単にあしらわれることもなかったろうに。それにしても、私は前世で頼朝に命を助けられたことがあるのでしょうか。頼朝のことを聞くだけでも気の毒で、不憫でならない。頼朝が斬られでもしたら、私は生きている甲斐がない。餓死してしまおう」 と言って、湯水もお飲みにならず、悲しんでお泣くになるばかりである。重盛はこのことを伝え聞き、困ってしまい、清盛の許に出向いて、再度懇願して、 「池殿は、 『頼朝が斬られたら、自分も餓死する』 など言い張って嘆いていらっしゃるが、もはや御命も限界と聞いております。年も老い、衰弱していらっしゃるのだから、たった今お亡くなりになるなどないとも限りません。もし、そうにでもなったら、清盛は賢臣の武士と聞いていたのに、老い衰えた母の尼上の願い事を適えさせてもあげず、母を殺したなど、それは 『継母・継子の仲だから、そんなむごいことをするのだ』 と世間の人は噂し合うことでしょう。もしそんなことにでもなったら、父上のためにはよろしくありません。頼朝を斬ったところで、本来ない果報に恵まれるということでもありますまい。また、たとい、頼朝を助けたところで、ある果報を失うなどということでもありますまい。平家の運が傾いた時は、諸国には源氏が多いのだから、源氏の世になるのは当たり前のことでしょう」 と言ったので、清盛も、さすがに重盛の言い分には道理があると思ったのだろう。十三日に斬るはずだった頼朝を、流罪にと寛大な処置をはかった。

『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館  ヨ リ
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