〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-W』 〜 〜
平 治 物 語 (下)

2012/09/17 (月) 頼朝遠流に宥めらるる事 付けたり 呉越戦ひの事 (三)

池殿、伊予守いよのかみ 重盛しげもり せて、宣ひけるは、 「兵衛佐頼朝が、あま に付て、 『命を申したす かり、父の後世ごせ をもとぶら ひ候はばや』 と歎くなるが、 家盛いへもり の姿に少しもたが はずと聞く。家盛は清盛のおとと なれば、御辺ごへん のためには伯父をぢ ぞかし。伯父の孝養けうやう に、頼朝を助けて、家盛の形見かたみ 、尼に見せたまへ」 と宣へば、 「申してこそ見候ため」 とて、清盛の御まへまゐ り、 この由申されければ、清盛宣ひけるは、 「これこそ池殿のおほ せなればとて、うけたまは るとは申しがたけれ。義朝、朝敵てうてき とは申しながら、源平の中 しければ、保元。平治両度りやうど の合戦に、清盛、大将軍だいしやうぐん 承り、源氏多くうしな ひしこと、まこと なり。中にも、頼朝は、父いとほしみの子として、官を右兵衛権佐うひようゑのごんのすけまですす ませ、末代の大将だいしやう ぞとて、物具ものぐ こと によきを取らせけると承る。兄弟多き中に、今まで生きるだにも不思議ふしぎ なり。助けんこと思ひよらず。 く斬るべし」 とぞ宣ひける。

池殿は、伊予守重盛を呼び寄せて、 「兵衛佐頼朝が尼を頼りにして、 『命を助けていただいて、父の後世を弔いたく存じます』 と歎いているそyです。頼朝は亡き家盛の姿にそっくり、少しもちがわないと聞いています。家盛は清盛の弟、ということはそなたにとっては伯父に当ります。伯父の供養の為にも、頼朝を助けて、家盛の形見として、この尼に見させておくれ」 と頼むものだから、重盛も、 「父に伝えてみましょう」 と言ってくれた。重盛は、清盛の許に出向いて、この事を伝えたが、清盛は、にべもなく、 「たとい池殿のご意向といっても、これだけは承ったとは言えない。確かに義朝は朝敵ではあるが、源平の中も悪かったので、保元・平治両度の合戦で、清盛は大将軍となり、源氏の兵の多くを討ったのは事実だ。なかでも、頼朝は父に愛され、官は右兵衛権佐にまで昇進し、将来は大将になる人物として、格別にいい武具を与えられていたと聞いている。兄弟多い中、しかも多く失せている中、頼朝が今まで生きていることの方が不思議よ。助けるなど思いもよらない。早々に斬るがよい」 と言うだけであった。

『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館  ヨ リ
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