池殿、伊予守
重盛しげもり を呼よ
び寄よ せて、宣ひけるは、 「兵衛佐頼朝が、尼あま
に付て、 『命を申し助たす かり、父の後世ごせ
をも弔とぶら ひ候はばや』 と歎くなるが、故こ
家盛いへもり の姿に少しも違たが
はずと聞く。家盛は清盛の弟おとと
なれば、御辺ごへん のためには伯父をぢ
ぞかし。伯父の孝養けうやう に、頼朝を助けて、家盛の形見かたみ
、尼に見せたまへ」 と宣へば、 「申してこそ見候ため」 とて、清盛の御前まへ
に参まゐ り、 この由申されければ、清盛宣ひけるは、
「これこそ池殿の仰おほ せなればとて、承うけたまは
るとは申しがたけれ。義朝、朝敵てうてき
とは申しながら、源平の中悪あ
しければ、保元。平治両度りやうど
の合戦に、清盛、大将軍だいしやうぐん
承り、源氏多く失うしな ひしこと、実まこと
なり。中にも、頼朝は、父いとほしみの子として、官を右兵衛権佐うひようゑのごんのすけまで進すす
ませ、末代の大将だいしやう ぞとて、物具ものぐ
殊こと によきを取らせけると承る。兄弟多き中に、今まで生きるだにも不思議ふしぎ
なり。助けんこと思ひよらず。疾と
く疾と く斬るべし」 とぞ宣ひける。
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