〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-W』 〜 〜
平 治 物 語 (下)

2012/09/17 (月) 頼朝遠流に宥めらるる事 付けたり 呉越戦ひの事 (二)

宗清申しけるは、 「御命をば助からんと おぼ されず候ふやらん」 と申しければ、佐殿、のたま ひけるは、 「保元ほうげん平治へいぢ 両度りやうど合戦かつせん に、一門兄弟 せたまひぬ。父も失せたまひぬ。後生ごしやうとぶら い奉らんと思へば、こと に命はこと しきぞ」 と宣へば、宗清申しけるは、 「池禅尼いけのじんに と申すは、頼盛よりもり の御ためひはまこと の母、清盛きよもり 公の御ためには継母けいぼ なり。きは めて慈悲者じひしや にておはしまし候ふが、一年ひととせ山法師やまぼうし呪詛じゆそ にてむな しくなりたまひし右馬助むまのすけ 家盛いへもり の御姿すがた に、少しもちが はせたまはず候へば、このよし 申させたまはば、御命をば助けまゐ らつさせたまふ御こともや候はんずらん」 と申せば、 「それもたれ か申しべき」 と宣へば、 「かな はぬまでも、宗清申して見候はん」 とて、池殿いけどのまゐ りたり。

ある時、宗清が、 「せめてお命だけでも助かることがあればとお思いになることはありませんか」 と尋ねたところ、佐殿は、 「保元・平氏の合戦で一門兄弟の多くが亡くなってしまった。父もお亡くなりになった。これら一門の人々の後生を弔おうと思うと、本当に命は惜しいものよ」 と応じなさる。そこで、宗清は、 「池禅尼と申し上げる御方は、頼盛の実母、清盛の継母です。たいそう情け深いお方でいらっしゃるが、あいにくなことに、先年、山法師の呪詛により御子息右馬助家盛を亡くしました。その御子息の御姿とそなたはそっくり、少しも違うところがありません。このことを申し上げると、御命を助けてさしあげることが出来るかも知れません」 と言ったところ、頼朝は、 「それは誰が言ってくれるのだ」 と乗り気になった。宗清は、 「できるかどうか、心こめて、宗清がお願いしてみましょう」 と言い置いて、早速、池殿に出向いた。

池禅尼宣ひけるは、 「おのもと頼朝よりとも があるなるは、何時いつ らるるぞ」 と宣へば、 「今月こんげつ 十三日とこそ承り候へ」 と申せば、 「あな、あはれやな、さては、義朝よしとも の子、みな せんずるごさんなれ」 と宣へば、宗清申しけるは、 「何者なにもの が申して候ひけるやらん。かみ の慈悲者にておはしまし候ふ由、うけたまは られ候ひて、 『つきまゐ らせて、命ばかりを申し助かりて、父の後生ごしやうとぶら ひ候はばやと思ひ候ふ』 となげ き申され候ふ。 右馬介殿むまのすけどの の御姿に少しもたがまゐ らせられず候ふ」 と申しければ、池殿いけどの 、 「あま慈悲者じひしや とは、頼朝には何者なにもの が知らせけるぞ。忠盛ただもり の時こそ、 らるるべかりし者どもをば多く助けしかども、清盛きよもり になりては、申すともかな はじ。中にも、右馬助の姿に似たるこそ悲しけれ。右馬助だにあると聞かば、鳥になりて雲を分け、うを にもなりて水の底へも らばやと思ふなり。のち の世にても ふべきとだに聞かば、只今ただいま も、 して尋ね見ばやと思へども、六道りくだう 四生ししやうあひだ 定まらず、と聞けば、力及ばず、適はざるまでも、申してこそ見候はめ」 と宣ひければ、宗清、帰りて、佐殿にこの由申せば、 「まこと しからず」 とぞ思はれける。

池禅尼は、 「お前の許に預けられている頼朝は、いつ斬られることになっているのです」 とお尋ねになる。宗清が、 「今月十三日とうかがっています」 と答えたところ、池禅尼は、 「それはまあ。かわいそうなことよ。それでは、義朝の子供は、皆亡くなることになるのですね」 とおっしゃる。宗清は、ここぞとばかり、 「誰が教えたのでしょうか。禅尼殿が情け深い御方であることを聞き知って、 『つきましては、せめて命だけでも助けていただいて、父の後生を弔いたいもの』 と頼朝は歎き申しております。この頼朝は、不思議なことに、故右馬助殿の御姿そっくり、少しも違うところはありません」 と願い出た。池殿は、 「この私が情け深いなど、頼朝に誰が教えたのでしょう。忠盛の代には処刑されるはずの者を多く助けることが出来たが、清盛の時代になってからは、願い出ても許してくれない。ついては右馬助の姿に似ているとは悲しい。右馬助がいるところならどこでも、捕りになって雲を分け飛び、魚になって水の底でも潜りたいとしみじみ思うのです。後世でなら会えると聞くや、たった今でも死んで会いに行きたいと思います。しかし、死後は六道四生それぞれの赴く所が違うと聞くと、どうしようもありません。でも、聞き届けてもらえないかも知れないが、ともかくお願いしてみましょう」 と請け合ってくれた。宗清は喜び帰って、このことを佐殿に伝えたが、佐殿は、 「本当と思えないなあ」 と心に思うことだった。
『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館  ヨ リ
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