清盛
、兵衛佐殿へ、使者を以も って、
「御辺ごへん の髭切ひげきり
は、何処いづく に候ふぞ」 と言へば、
「今は隠かく しても何にかはせん」
と思はれければ、 「青墓あおはか
の長者のもとにぞ候ふらん」 と申されければ、難波なんばの
六郎経家つねいへ を使者にて、大炊おほひ
がもとへ、 「兵衛佐頼朝の髭切あるなる。進まゐらせよ」
と宣へば、長者、この由よし 聞き、
「源氏げんじ 重代ぢゆうだい
の太刀たち 、平家の方かた
へ取らるることこそ口惜くちを
しけれ。佐殿こそ斬られたまふとも、義朝の君達きんだち
多おほ くおはしませば、平家の運の末ならん時、源氏、世に出い
でさせたまはぬ事、よもあらじ。その時、この太刀を進まゐ
らせたらば、いかによかりなん。いかがせん」 と思ひけるが、 「泉水せんずい
といひて、髭切にも劣おと らぬ太刀あり。これを進まゐ
らせたらん程に、兵衛佐殿の方かた
へ遣つかは して、尋ねられん時、わらはと同じ心にて、髭切と仰せられば、しかるべし。もし、あらぬ由申させたまはば、平家より咎とが
めのあらん時、女をんな にて知らざる由、陳ちん
じ申さんに、別の子細しさい はあらじ」
とて、髭切は柄つか ・鞘さや
丸まろ かりけるに、抜ぬ
き替か へて、泉水といふ太刀を進まゐ
らせたる。案あん に違たが
はず、佐殿の方かた へ遣つかは
して、 「髭切か、あらぬ太刀か、正直しやうぢき
に申さるべし」 と宣ひければ、兵衛佐殿、 「あらぬ太刀よ」 と思はれけれども、 「大炊も、子細ありてぞ髭切を留とど
めたるらん」 とて、やがて 「髭切にて候ふ」 と宣ひければ、清盛、大きに喜びて、深く納め置かれり。 |
清盛は兵衛佐殿に使者を送り、
「そなたの名刀髭切はどこにあるのか」 と尋ねた。頼朝も、 「もはや隠しても隠し通せるものではない」 と思ったものだから、 「青墓の長者のもとにございましょう」
と答えた。そこで、難波六郎経家を使者として、大炊のもとへ、 「兵衛佐頼朝の刀髭切があることは確か、返すように」 と言ってやった。長者はこの事を聞いて、 「源氏重代の太刀をこのまま平家の方に取られるのは残念です。たとい、佐殿が斬られたにしても、義朝にはご子息がたくさんいたっしゃる。ひょっとして、平家の運が傾き、源氏の世になることもないことではありますまい。その時、この太刀を進上したら、どんなにいいことでしょう。どうしたものか」
と考えあぐねていたが、 「泉水といって、髭切にも劣らぬ太刀があります。泉水を代わりにお返ししたとして、もし兵衛佐殿のもとにこの太刀が届けられて確認を求められても、私と同じ考えで、確かに髭切とおっしゃってくだされば、それですむことです。もし、違うとお答えになったら、それまでのこと、平家からとがめられた時は、女のこととて刀のことはうとく、知りませんでしたとでも言い訳したら、それでいいことでしょう」
と考えがまとまった。そこで、髭切は柄も鞘も丸かったが、抜き替えて、泉水という太刀を差し出した。長者が考えた通り、清盛は、佐殿のもとにこの刀を届け、 「髭切か、それとも別物か、正直に申すがよい」
と言わせたところ、兵衛佐殿は、 「偽の太刀よ」 と思ったが、 「大炊も何か考えるところがって、髭切を手許に置いたのだろう」 と思い直し、すぐさま、 「確かに髭切です」
と答えたので、清盛もたいそう喜び、大事に秘蔵した。 |
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『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館 ヨ
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