「聞
ゆる悪源太斬らるるなり。いざや見ん」 とて、京中の上下、河原に市いち
をなす。悪源太、 「あの雑人ざふにん
ども、退の き候へ。西にし
を拝おが みて、念仏ねんぶつ
申さん」 と宣へば、左右さう
へざつと退の きにけり。悪源太宣ひけるは、
「あはれ、平家の奴原やつばら
は、物もの にも思おぼ
えぬぞとよ。義平程の者を、日中、河原にて斬ることこそ口惜くちお
しけれ。保元ほうげん の合戦かつせん
にも、人を多数あまた 斬りしかども、昼ひる
は山の奥にて斬り、夜よる こそ河原にて斬りしか。あはれ、清盛が熊野くまの
参まゐ の時、 『阿倍野あべの
に待ち設まう けて、中に取り籠こ
め、討う たん』 と言い
ひしを、信頼のぶより といふ不覚人ふかくじん
に下知げぢ せられて、今、かかる憂う
き目め を見るぞとよ」 と宣へば、難波なんばの
三郎経房つねふさ 、 「何なに
と、殿は後言うしろごと をしたまふやらん」
とて、太刀たち 抜いて寄りければ、
「汝なんぢ は、主しゆ
に似ず、物を思おぼ え、怪け
に言い ふものかな。義平がためには、後言うしろごと
ぞ。義平をば誰たれ が斬き
らんずるぞ。汝が斬らんずるか。よく斬れ。悪わろ
く斬らば、しや汝が面つら に食ひ付かむるぞ」
と宣へば、 「斬らるる人の斬り手の面に食ひ付きてんや」 と言いひけてば、悪源太、 「只今こそ食ひ付かずとも、百日が中うち
に、雷いかづち となりて、蹴殺けころ
さんずるものを」 とて、手を合はせ、念仏申されければ、難波、背後うしろ
へ廻まは ると見えしが、御首は御前に落ちにけり。御年二十歳になりたまふ。さて、獄門ごくもん
に梟か けられけり。 |