〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-W』 〜 〜
平 治 物 語 (下)

2012/09/14 (金) 悪 源 太 誅 せ ら る る 事 (四)

きこ ゆる悪源太斬らるるなり。いざや見ん」 とて、京中の上下、河原にいち をなす。悪源太、 「あの雑人ざふにん ども、退 き候へ。西にしおが みて、念仏ねんぶつ 申さん」 と宣へば、左右さう へざつと退 きにけり。悪源太宣ひけるは、 「あはれ、平家の奴原やつばら は、もの にもおぼ えぬぞとよ。義平程の者を、日中、河原にて斬ることこそ口惜くちお しけれ。保元ほうげん合戦かつせん にも、人を多数あまた 斬りしかども、ひる は山の奥にて斬り、よる こそ河原にて斬りしか。あはれ、清盛が熊野くまの まゐ の時、 『阿倍野あべの に待ちまう けて、中に取り め、 たん』 と ひしを、信頼のぶより といふ不覚人ふかくじん下知げぢ せられて、今、かかる を見るぞとよ」 と宣へば、難波なんばの 三郎経房つねふさ 、 「なに と、殿は後言うしろごと をしたまふやらん」 とて、太刀たち 抜いて寄りければ、 「なんぢ は、しゆ に似ず、物をおぼ え、 ふものかな。義平がためには、後言うしろごと ぞ。義平をばたれ らんずるぞ。汝が斬らんずるか。よく斬れ。わろ く斬らば、しや汝がつら に食ひ付かむるぞ」 と宣へば、 「斬らるる人の斬り手の面に食ひ付きてんや」 と言いひけてば、悪源太、 「只今こそ食ひ付かずとも、百日がうち に、いかづち となりて、蹴殺けころ さんずるものを」 とて、手を合はせ、念仏申されければ、難波、背後うしろまは ると見えしが、御首は御前に落ちにけり。御年二十歳になりたまふ。さて、獄門ごくもん けられけり。

「あの悪源太が斬られるぞ、さあ、見に行こう」 など、京中の人々、河原に市を出すほどの混雑ぶりだった。悪源太が、 「あの雑人どもそこを退け。西を拝んで念仏唱えよう」 と言うと、その威勢に恐れて、群集はざっと後ずさりした。悪源太は、 「ああ、平家の奴原は物を知らぬにも程がある。義平程の者を、日中に、河原で斬るなんてばかげたことをして。保元の合戦でも、人を多く斬ったが、昼は山の奥で、夜だけは河原で斬ったぞ。ああ、清盛が熊野参りをした時、 『せっかく阿倍野に陣を構えて、中に取り囲んで討とう』 と進言したのに、あの信頼という大ばか者に指図されて戦ったものだから、今、こんな憂き目にあってしまって」 と言っていると、難波三郎経房は、 「何とまあ、殿は愚痴の多いことよ」 と言いながら、太刀を抜いて近寄る。 「お前は主人に似ず、物の道理をわきまえていると思っていたが、それにしてもよく言ったものだ。義平にとっては、悔やんで悔やみきれない愚痴というものよ。ところで義平を誰が斬るのか、お前が斬るのか。よく斬れよ。しくじったらお前の面に食い付いてやるぞ」 と義平が言うので、経房も、負けじと、 「斬られる者が斬り手の面に食い付くなんておかしなことを」 と言い返す。悪源太は、 「今食い付かずとも、百日の中に、雷となってお前を蹴殺してやるぞ」 と悪態をつき、手を合わせて、念仏を唱え始めたので、難波がその後ろに回ったと見るや、はや、首は前に落ちていた。御年二十歳になりなさっていた。獄門にさらされたという。

『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館  ヨ リ
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