〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-W』 〜 〜
平 治 物 語 (下)

2012/09/14 (金) 悪 源 太 誅 せ ら る る 事 (三)

同じき正月二十五日に、 悪源太は、 「ひがし 近江あふみ りたる人をたのくだ りて、しばらやす まん」 として下られけるが。逢坂あふさか の山に立ち入りて、暫く休みたまふほどに、前後も知らず したまへり。難波なんばの 次郎経遠つねとを折節をりふし 、五十 にて、石山いしやま して下向げかう しけるが、せき明神みやうじん の御前にて、法施ほつせ まゐ らせける程に、近江路あふみぢ より一町ばかり りて、 悪源太伏しておはしける上にて、飛び行くかり左右さう へばつとみだ れけは、難波次郎、これを見て、 「かたき に伏す時は帰雁きがん つらみだ るといふ本文ほんもん あり、彼処かしこかたき のあるにこそ」 とて、五十余騎、むま より りて、さが す程に、 悪源太の伏しておはしけるを見付けて、 「山中さんちゆう只今ただいま 伏したるは何者ぞ。名乗なの り候へ」 と言えば、 悪源太、がはと起き、 「源義平みなもとのよしひら 、ここにあり。見参げんざん せん」 とて、さんざんに つてまは る。難波次郎、よつ いてはな ちければ、 悪源太の小腕こがいな にしたたかに立つ。難波次郎、言ひけるは、 「かたき は手を ふ。 へや、者ども。寄り合へや、者ども」 と下知げち しければ、つはもの ども、 悪源太に寄り合ひ寄り合ひ戦ひければ、小腕こがいな られつ、太刀たちつか 思ふやうにもにぎ らねば、はかばかしきくもたたか はず。兵ども、多数あまた ひて、手取てとあし り、もとどり 取りて、つひ生捕いけど りにし奉る。

同正月二十五日、悪源太は 「東近江の知るべを頼りに下り、しばし休もうか」 と、逢坂山に入り込み、しばらく休息しているうち、すっかり寝込んでしまった。折りしも、難波次郎経遠が五十騎の軍勢で、石山目指して下向していたが、関の明神の前で法施たむけて祈願していたところ、近江路から一町ほど山に入り込んだ、悪源太の寝ている辺の上空を、飛び行く雁が列を乱してばっと左右に分かれた。難波次郎がこのさまを見て、 「敵が伏している時は帰雁列を乱すという古事がある。あそこに敵がいるのだろう」 とばかり、五十騎余り、馬から下りて探し回ったところ、ついに悪源太が寝ているのを見付けた。 「この山中に寝ている者は誰だ。名乗れ」 と声をかけたところ、悪源太がばと起き、 「源義平、ここにあり。相手になろう」 と言いながら、さんざんに斬って回る。難波次郎が弓を強く引きしぼり、放った矢が、悪源太の小腕にびしりと立った。難波次郎は、 「敵は怪我をしたぞ。集まれ、者ども集まれ、者ども」 と命じたところ、兵どもは悪源太に向かい戦った。悪源太は小腕は射られてしまい、太刀の柄を思うように握りことが出来じ、ちゃんと戦うことが出来なかった。兵ども大勢で悪源太と戦い、手取り、足取り、さらに髻まで取って、ついに生け捕りにした。

むま に乗せたてまつ り、六波羅へまゐ り、えん ゑ奉りければ、 「義平ほど の者を、かたき なればとて、縁に置くべきか」 とて、引きて、さぶらひ へ入れたまへば、侍に据ゑ奉る。さて、、清盛、 むか ひて、 「いかに、御辺ごへん は、三条烏丸からすまる にて、三百騎の中をだにもやぶ りて でられけるに、関山せきやま にては、わづ かに五十騎に らはれけるぞ」 と宣へば、悪源太、あざわら ひて、 「異国いこく項羽かうう は、百万 すといへども、うん きぬれば、かたき 高祖かうそ らはれき。義平も、運尽きぬれば、ちから およ ばず。わうひと ともに、運尽きたらん時は、かうこそあらんずれ。つひ には身のうへ ならんずるぞ。ことさら、義平程のかたき を、しばら くも きては しかるべきぞ。 れや」 と宣へば、 「さらば」 とて、六条河原に だす。

悪源太を馬に乗せて六波羅に連行、縁に引き据えたが、 「義平ほどの者を、いくら敵といったところで縁に置いていいものだろうか」 ということで、引っ張って、侍所に入れて座らせた。さて、清盛が姿を現し、 「どうした、お前は、三条烏丸では三百騎の中さえ駆け破ったというのに、それがなぜ、関山では、わずか五十騎に捕えられたのか」 と問い質したところ、悪源太はあざ笑って、 「異国の項羽は百万騎引き連れていたというのに、運が尽きてしまい、敵高祖に捕えられてしまった。義平だって、運が尽きてしまえばどうしようもない。王といえども人といえども、運が尽きたら、こんなものよ。いつか、お前の身の上にだって起こることよ。なかでも義平程の敵をしばしとぴえども生かしておいてはとんでもないことになるぞ、早く、早く斬れ」 と言うので、 「それでは」 ということで、六条河原に引き出した。

『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館  ヨ リ
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