同じき正月二十五日に、
悪源太は、 「東 近江あふみ
に知し りたる人を頼たの
み下くだ りて、暫しばら
く休やす まん」 として下られけるが。逢坂あふさか
の山に立ち入りて、暫く休みたまふほどに、前後も知らず伏ふ
したまへり。難波なんばの 次郎経遠つねとを
、折節をりふし 、五十騎き
にて、石山いしやま 指さ
して下向げかう しけるが、関せき
の明神みやうじん の御前にて、法施ほつせ
進まゐ らせける程に、近江路あふみぢ
より一町ばかり引ひ き入い
りて、 悪源太伏しておはしける上にて、飛び行く雁かり
の左右さう へばつと乱みだ
れけは、難波次郎、これを見て、 「敵かたき
野の に伏す時は帰雁きがん
列つら を乱みだ
るといふ本文ほんもん あり、彼処かしこ
に敵かたき のあるにこそ」 とて、五十余騎、馬むま
より下お りて、捜さが
す程に、 悪源太の伏しておはしけるを見付けて、 「山中さんちゆう
に只今ただいま 伏したるは何者ぞ。名乗なの
り候へ」 と言えば、 悪源太、がはと起き、 「源義平みなもとのよしひら
、ここにあり。見参げんざん せん」
とて、さんざんに斬き つて廻まは
る。難波次郎、よつ引ぴ いて放はな
ちければ、 悪源太の小腕こがいな
にしたたかに立つ。難波次郎、言ひけるは、 「敵かたき
は手を負お ふ。寄よ
り合あ へや、者ども。寄り合へや、者ども」
と下知げち しければ、兵つはもの
ども、 悪源太に寄り合ひ寄り合ひ戦ひければ、小腕こがいな
は射い られつ、太刀たち
の柄つか 思ふやうにも握にぎ
らねば、はかばかしきくも戦たたか
はず。兵ども、多数あまた 落お
ち合あ ひて、手取てと
り足あし 取と
り、髻もとどり 取りて、遂つひ
に生捕いけど りにし奉る。 |
同正月二十五日、悪源太は
「東近江の知るべを頼りに下り、しばし休もうか」 と、逢坂山に入り込み、しばらく休息しているうち、すっかり寝込んでしまった。折りしも、難波次郎経遠が五十騎の軍勢で、石山目指して下向していたが、関の明神の前で法施たむけて祈願していたところ、近江路から一町ほど山に入り込んだ、悪源太の寝ている辺の上空を、飛び行く雁が列を乱してばっと左右に分かれた。難波次郎がこのさまを見て、
「敵が伏している時は帰雁列を乱すという古事がある。あそこに敵がいるのだろう」 とばかり、五十騎余り、馬から下りて探し回ったところ、ついに悪源太が寝ているのを見付けた。
「この山中に寝ている者は誰だ。名乗れ」 と声をかけたところ、悪源太がばと起き、 「源義平、ここにあり。相手になろう」 と言いながら、さんざんに斬って回る。難波次郎が弓を強く引きしぼり、放った矢が、悪源太の小腕にびしりと立った。難波次郎は、
「敵は怪我をしたぞ。集まれ、者ども集まれ、者ども」 と命じたところ、兵どもは悪源太に向かい戦った。悪源太は小腕は射られてしまい、太刀の柄を思うように握りことが出来じ、ちゃんと戦うことが出来なかった。兵ども大勢で悪源太と戦い、手取り、足取り、さらに髻まで取って、ついに生け捕りにした。 |
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馬むま
に乗せ奉たてまつ り、六波羅へ参まゐ
り、縁えん に引ひ
つ据す ゑ奉りければ、 「義平程ほど
の者を、敵かたき なればとて、縁に置くべきか」
とて、引きて、侍さぶらひ へ入れたまへば、侍に据ゑ奉る。さて、、清盛、
出い で向むか
ひて、 「いかに、御辺ごへん
は、三条烏丸からすまる にて、三百騎の中をだにも破やぶ
りて 出い でられけるに、関山せきやま
にては、僅わづ かに五十騎に捕と
らはれけるぞ」 と宣へば、悪源太、あざ笑わら
ひて、 「異国いこく の項羽かうう
は、百万騎ぎ 具ぐ
すといへども、運うん 尽つ
きぬれば、敵かたき 高祖かうそ
に捕と らはれき。義平も、運尽きぬれば、力ちから
及およ ばず。王わう
・人ひと ともに、運尽きたらん時は、かうこそあらんずれ。遂つひ
には身の上うへ ならんずるぞ。ことさら、義平程の敵かたき
を、暫しばら くも措お
きては悪あ しかるべきぞ。疾と
う疾と う斬き
れや」 と宣へば、 「さらば」 とて、六条河原に引ひ
き出い だす。 |
悪源太を馬に乗せて六波羅に連行、縁に引き据えたが、
「義平ほどの者を、いくら敵といったところで縁に置いていいものだろうか」 ということで、引っ張って、侍所に入れて座らせた。さて、清盛が姿を現し、 「どうした、お前は、三条烏丸では三百騎の中さえ駆け破ったというのに、それがなぜ、関山では、わずか五十騎に捕えられたのか」
と問い質したところ、悪源太はあざ笑って、 「異国の項羽は百万騎引き連れていたというのに、運が尽きてしまい、敵高祖に捕えられてしまった。義平だって、運が尽きてしまえばどうしようもない。王といえども人といえども、運が尽きたら、こんなものよ。いつか、お前の身の上にだって起こることよ。なかでも義平程の敵をしばしとぴえども生かしておいてはとんでもないことになるぞ、早く、早く斬れ」
と言うので、 「それでは」 ということで、六条河原に引き出した。 |
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『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館 ヨ
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