ある時、須智の前にはご馳走を用意し、
悪源太の前にはおかずの品数の少ない飯を置いた。と、須智は、自分の膳にあるご馳走をそのまま 悪源太の前に置き、自分は悪源太の粗末な飯を取って食べていた。かねて奇妙に思っていた宿の主が障子の間からこれをのぞいていて、
「思ったとおり、この者は源氏の郎等と言っていたし、また、 悪源太が平家を狙っているとか、六波羅は近ごろ大騒ぎだ。このまま隠していて、後日ばれたら大変だ」 とばかり六波羅に駆け込み、
「こんなことがあります」 と訴え出たところ、 「さては 悪源太だろう。捕まえて連れて来い」 ということになり、難波次郎経遠を向かわせた。三百余騎で、三条烏丸へ押し寄せた。
「 悪源太がいる由聞き及んだ。難波次郎経遠が迎えに参ったぞ。早く出て来い」 と呼びかけたところ、 悪源太は袴の陵を取り、石切という太刀を抜いて、大童になって戦う。
「これぞ源義平よ、さあ行くぞ」 とわめいて走り出たので、兵はひるんで左右にさっと退いた。面と向かって来る者二、三人を斬り伏せ、築地の覆に手をかけるや、つつと越えて、家伝いにどこともなく姿を消した。須智六郎景純だけを生け捕りにして、六波羅に帰り、縁の際あたりに引き据えた。清盛が姿を現し、
「どうした、お前は。平家に奉公して過ごすべき者が、不届きにも裏切って斬られるなど、かわいそうなことよ」 と呼びかけたところ、景純は、 「源氏のほうこそ相伝の主よ。源氏の天下になるまでの奉公と知っていてあたりまえ。奉公するというのを真に受けて、使う御辺のほうこそうかつ者めが」
と言い返した。 「こいつ、狼藉者よ」 とどなりつけ、六条河原に引き出し、松浦太郎重俊が斬り手として斬ろうとした際、須智は、 「景純は、源氏の郎等の中でも末席の者、それが平家の大将軍清盛の敵として死ぬなど、この上ない面目、命など少しも惜しくない」
と言って、念仏唱え、二十三歳で斬られた。その剛胆なふるまい、いさぎよさ、惜しまぬ者はいまかった。 さて、 悪源太義平は、大原・静原・芹生の里、梅津・桂・伏見の辺りで昼は過ごし、夜になると六波羅辺りに出没して狙ったが、運も尽きたのであろう、まったくつけ入る隙はなかった。
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