〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-W』 〜 〜
平 治 物 語 (下)

2012/09/13 (木) 悪 源 太 誅 せ ら る る 事 (一)

悪源太あくげんた 義平よしひら越前国えちぜんのくに 足羽あすは までくだ りておはしけるが、尾張国おわりのくに 内海うつみ にて義朝よしとも たれぬときこ えしかば、 「すゑ もしかるべからず。親のかたき なれば、平家一人いちにん にてもねら たばや」 と思はれければ、足羽よりただ一人いちにん 、都へのぼ り、平家をうか はれける程に、義朝のさぶらひ丹波国たんばのくに の住人、須智すち 六郎景純かげずみ といふ者あり、末座ばつざ の者にてありしかば、平家よりたづ ねもなし。あまつさへ、えん につき、平家に奉公しけるが、悪源太に行き ひ奉る。 「いかになんぢ は景純か」 「さんざうら ふ」 「いづくにあるぞ」 とのたま へば、 「身の捨てがたきに、御代みよ にならん程とぞん じて、平家に奉公ほうこう つかまつ り候ふ」 と申しければ、悪源太、宣ひけるは、 「日ごろのよし み、忘れたまひぬか」 「いかでか忘れ奉るべき」 「さらば、義平にたの まれよ。親のかたき なれば、一人いちにん なりとも、平家をねら ひて たんと思ふぞ」 「うけたまは り候ひぬ」 と申せば、 「汝をしゆ とすべし。義平を下人げにん にせよ」 とて、須智六郎が六波羅ろくはら出仕しゆつし の時、みのかさ履物はきもの てい のものを持ちて、門のわき にたたずみ、ねら はれけれども、あはれ果報くわほう さかん りなり。うん きぬる が身は、一人いちにん なれば、さらにひま なし。宿やど は三条烏丸からすまる なり。あるじ の男言ひけるは、 「しゆう といふ男は、振舞ふるまひ 武骨ぶこつ なり。もの ひたる言葉つきもかたくななり。下人げにん といふ男は、 の振舞尋常よのつね なり。 ち思ひたる有様ありさま 世に超えたり。主を下人にして、下人を主にしたらば、いかに相応して、よかりなん」 と言ひけり。

悪源太義平は越前国足羽まで下っていたが、内海で義朝が討たれたということを聞いたので、 「これでは将来がおぼつかない。平家は親の敵だから、せめて一人でも狙って討ちたいものよ」 と思い、足羽からただ一人都へ上り、平家の隙を狙っていたところ、義朝の侍に出会った。この男は、丹波国の住人、須智六郎景純という者である。末座の者なので、平家から狙われることもなく、その上縁あって、平家に奉公していた。悪源太が 「どうした。お前は景純か」 と尋ねたところ、 「さようです」 と答える。 「どこにいるのか」 と聞いたところ、 「わが身大事さに、源氏の御代になるまでの間の辛抱とと考えて、平家に仕えています」 と言う。 「これまで縁を忘れないだろうな」 と聞くと、 「どうして忘れることがありましょう」 と答える。 「それでは義平の頼みを聞いてくれ。親の敵ゆえ、一人でも平家の者を狙って討とうと思う」 と頼むと、 「かしこまりました」 と答える。そこで、 「お前を主人にして、義平を下人にしてくれ」 と言い、須智六郎が六波羅に出仕する時は、蓑や笠、履物などを持って門のあたりをぶらぶらして、敵を狙ったが、平家は目下勢いが盛ん、かたや、運に見放された自分はたった一人であるので、うまく狙うことも出来ないありさまだった。三条烏丸に宿をとっていた。宿の主人が、 「あの両人、主と称する男の動作の無骨さといったらない。もの言う言葉つきも下品そのまま、ところが、下人と称する男の動作はまことに立派で、またもの思いにふけっている様子もただ者ではない。主を下人にして、下人を主にしたならば、ともにそれぞれにふさわしく、いいのに」 と言ったが、よほど奇妙だったのだろう。

『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館  ヨ リ
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