〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-W』 〜 〜
平 治 物 語 (下)

2012/09/12 (水) 長田六波羅に馳せ参る事 付けたり 尾張に逃げ下る事

さるほど に、義朝よしとも正清まさきよ 主従しゆじゆうくび を持ちて、長田をさだ 、都へのぼ りけり。平家の見参げんざん に入れれば、 「神妙しんべう なり」 とて、長田は壱岐守いきのかみ になり、子息先生せんじやう 景致かげむね は、左衛門尉さえもんのじよう になされけり。忠致ただむね 申しけるは、 「義朝・正清は、昔の将門まさかど純友すみとも にもあひ おと らぬ朝敵てうてき を、国のみだ れにもなさず、人のわづら ひにもなさず、すみ やかに ってまゐ らせ候へば、いかにも義朝の所領しよりやう をば一所いつしよ も残らずたま はるか、しからずば、住国ぢゆうこく にて候へば、尾張国をはりのくに をも賜はるべきに、国のはて てなる壱岐国いきのくにたま はり候ひては、今より後、なにいさ みか候ふべき」 と申しければ、清盛きよもりのたま ひけるは、 「天性てんせいなんぢ らは罪科ざいくわ の者ぞ。世にあらんと思へばとて、相伝さうでんしゆ と現在の婿みこ つ、汝らほど尾籠びろう の者あらばこそ。されども、朝敵てうてきかう とすれば、一国いつこく をも取らするなり。それを辞退じたい 申さば、力及ばず」 とのたま へば、なほかさ ねて訴訟そしよう を申しければ、 「狼藉らうぜき なり」 とて、壱岐国をもかへ され、左衛門尉をも解官けつくわん せらる。伊予守いよのかみ 重盛しげもり 申されけるは、 「今日けふ は人のうえ たりといへども、明日あす が身のうえ たるべし。うん きたらん時は、こうこそ候はんずれ。諸人しよにん の見る所も候ふべき。向後きやうこう のため、きやつ ばらを賜はりて、六条河原ろくでうがはら へ引き だし、二十日に二十はたち の指を り、くびのこぎり にて切り候はん」 と申されければ、長田、この由ほの 聞きて、急ぎ国へ逃げくだ り、面目めんぼく なくぞおぼ えける。天下てんが上下じやうげ は、この由を聞き、 「源氏世に でてのち 、長田掘首ほりくび にせらるるかはりつけ になるか、あはれ、長田がはて を見ばや」 と、にく まぬ者はなかりけり。

さて、義朝と正清の首を持参して、長田は都に上った。平家の御覧に入れたところ、 「よくやった」 ということで、長田は壱岐の守になり、子息先生景致は、左衛門尉に任命された。忠致は抗議して、 「義朝、正清は、昔の将門や純友にも劣らぬ朝敵であるにに、それを国の乱れになるようなことも、人の煩いになるようなこともなく、早々に義朝を討ったのだから、ここは、義朝の所領を一つ残らずいただくか、尾張国は住国なのでここをいただくかということでしょう。それが国の最果ての壱岐国をいただくのでは、これからの励みがありません」 と申しあげた。清盛は、 「お前らはどうしようもない。生まれつき罪科を背負っている者よ。いくら自分がときめきたいからといって、相伝の主や婿を討つなど、この大ばか者めが。しかし、朝敵を討ったのだから、せめて一国を与えたまでよ。それを辞退するというのであれば、どうしようもない」 と言い放した。ところが、忠致がまた訴えたので、 「狼藉の振舞いあり」 ということで、壱岐守は取り戻され、左衛門尉の官もとどめられた。伊予守重盛が 「今日は人の事でも、明日は我が身の上のことだ。人間運が尽きるとこういう事が起こるのだ。他人の目ということもある。今後のためにも、あいつをいただいて、六条河原に引き出し、二十日にかけて二十本の指を切り落とし、首を鋸で切ってやりたいものだ」 と怒った。長田はこの事を伝え聞いて、急いで国へ逃げ帰ったが、まことに面目ない次第である。人々はこれを聞いて、「源氏の世になると、長田は掘首になるか、磔になるか。ああ、なんとかして長田のなれの果てを見たいものだ」 と口々に憎んだ

『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館  ヨ リ
Next