「それでは、その作戦を実行することにするか」
ということになり、三日の日に、湯を沸かさせ、長田忠致は頭殿の御前に参って、 「都での合戦といい、道中でのご苦労、大変でございましたでしょう」 と言い、 「御行水なさい」
と勧めたところ、頭殿は、 「よくぞ申した」 と言い、すぐさま湯殿へ入りなさった。 鎌田を忠致のところに呼び寄せて、酒を勧めた。平賀殿は客間でもてなし、玄光は武士の詰所で酒を勧めた。手はずどおり、橘七五郎、弥七兵衛、浜田三郎が湯殿の様子をうかがったが、あいにくなこと、金王丸が太刀を身につけて、頭殿の背中流しをしているので、刺し殺すなど、とても出来そうにない。 しばらくして、金王丸が、
「御帷子を持って来い。だれもいないのか」 と言ったが、かねての手はず通り、誰も返事をいない。金王丸が、 「どうした。人はいないのか」 と言いながら湯殿の外へ出て来たところ、三人の者どもは入れ違いにさっと湯殿に走り込んだ。義朝が裸でいらっしゃるのに、橘七五郎がむずと組みついた。弥七兵衛と浜田三郎は義朝の両脇に寄って、脇の下をそれぞれ二刀ずつ突いた。
「正清はいないか。金王丸はいないか。義朝はたった今討たれたぞ」 と言うのが最期の言葉で、平治二年庚辰正月三日、御年三十八でお亡くなりになった。 金王丸はこの様子を見て、
「憎い奴どのが」 とばかり、 「一人残らず殺してやるぞ」 と言いながら、湯殿の入り口で、三人ともそこで斬り伏せた。鎌田兵衛は、このことを聞き、 「ああ、だまされた。自分が頭殿の介錯をすべきだったのに」
と走り出ようとする所を、妻戸の脇に先生景致が待ち構えており、鎌田の両膝を斬って、切り伏せたので、鎌田もたまらず、 「正清も御供つかまつります」 が最期の言葉で、頭殿と同年、三十八歳で死んだ。平賀四郎義信はこのことを聞くや、矢を取って走り逃げたので、だれもとめなかった。 |