〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-W』 〜 〜
平 治 物 語 (下)

2012/09/11 (火) 義朝内海下向の事 付けたり 忠到心替りの事 (二)

関の者ども、二、三人乗り移り、しば をばのぞ けり。玄光、 「今はかな はじ。人々にも自害じがい せさせ奉り、我もはら らんと思ふなり。左馬頭さまのかうの 殿落ちさせたまはんに、五十騎、三十騎にはよもおと りたまはじ。この法師のほど の者をたの みて、小舟・柴木の中に積み められて、御辺ごへん たちの中に探し だされ、 んとは、よも思ひたまはじ。仮令たとひ おはすとも、今は自害じがい などをこそしたまはんずれ。よく見よ」 と言ひければ、頭殿かうのとの 、このよし きたまひ、鎌田が耳に御くち あてて、 「これは自害じがい せよといふ言葉ことば なり。いざ、自害せん」 と宣へば、 「しばら く候ふ」 とぞ申しける。関屋のうち より、ゆはもの 一人いちにん でて、申しけるは、 「げにも、左馬頭殿さまのかみどの ちられ候はんには、いかに無勢ぶぜい なりとも、二、三十 にはよも劣らじ。この法師程の者をたの みて、このふね りてくだ らんとは、よも思はじ。 く通せ」 とて、柴木をもと のごとく取り積みて、 「早下はやくだ れ」 と言へども、急ぎても下らず。
玄光の申しけるは、 「法師のしよく に似ぬことにて候へども、柴木をくだ沽却こきやく して、妻子さいし をもはぐく む者にて候ふあひだ、一月いちげつ に五、六上下じやうげ する者にて候ふ。こののち は、事故ことのゆえ なく通したまへ」 と、きよう あるやうに申しなして、 「またもや探されんずらん」 と思ひ、舟、早くくだ す。

関の者どもが、二、三人舟に乗り移り、柴を取り除けた。玄光は、 「もうだめだ。皆にも自害させ、自分も腹を切ろうと思う。左馬頭殿が落ちのびるのに、五十騎、三十騎の軍勢を連れないことがあろうか。この法師ぐらいの者を頼りにして、小舟、柴木の中に積み籠められて、お前たちに探し出されて、つらい目に遭おうなどと、思われるはずがない。たとい、ここにいらしたにせよ、もう今ごろは自害なさっていることだろう。よく探せ」 と言う。頭殿これを聞いて、鎌田に耳に口を当てて、 「これは自害せよという言葉だ。さあ、自害しよう」 と言ったところ、鎌田は、 「ちょっとお待ちくだされ」 と答えた。関屋の中から、兵一人出て来て、 「確かに、左馬頭殿が落ちのびなさるには、どんなに無勢といっても二、三十騎は供するのがあたり前。この法師ほどの者を頼りにして、この舟に乗って下ろうとは思われない。早く通してやれ」 と命じて、柴木をもと通り積み上げて、 「早く下れ」 と言うが、玄光はわざと急いで下ろうともしない。
玄光は、 「法師の職らしくもないが、柴木を川下に下して売り払い、妻子を養っているので、月に五、六度はこの川を上り下りしている者よ。どうか、これからは無事に通してくだされ」 とおどけて言い、 「また探られたらたまらない」 とばかり、舟を早く下した。

『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館  ヨ リ
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