〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-W』 〜 〜
平 治 物 語 (下)

2012/09/11 (火) 義朝内海下向の事 付けたり 忠到心替りの事 (一)

さるほど に、頭殿かうのとの鎌田かまだ して、のたま ひけるは、 「海道かいだう は、宿々しゆくじゆく かた めてはべ り」 と言へば、 「さらば、かな ふまじ。これより尾張国おはりのくに 内海うつみ かばやと思ふは、いかに」 と宣へば、鎌田申しけるは、 「鷲栖わしのす玄光げんくわう と申すは、大炊おほひ が弟なり。古山法師ふるやまほふし にて候ふが大剛だいかう の者にて候ふ。たの ませたまへ」 と申せば、金王こんわう を御使つかひ にて、宣ひけるは、 「これより海上かいしやう を経て、尾張への内海へ かばやと思ふはいかに。たの まれよ」 と宣へば、玄光、 「これならでは、いかでか左馬頭殿さまのかうのとの の仰せをばかうむ るべき」 とて、小舟こぶねそう たづ だし、左馬頭さまのかみ 殿・平賀ひらがの 四郎・鎌田かまだ 兵衛びやうゑ金王丸こんわうまる 、四人の人々を乗せ奉り、上には柴木しばき み、玄光一人いちにんさを さして、杭瀬川くひせがはくだ しけり。おりつに関 ゑて、くだ る舟を探す程に、 「この舟を せよ」 といへども、玄光、聞かぬよし にて、くだ しければ、 「にく い法師かな」 とて、矢を取つてつが ひてはな ちければ、ふなばた射立いた てたり。玄光、いとさわ がぬ気色けしき にて、 「これはなに かとぞ」 とて し寄せたる。 「左馬頭さまのかみ 殿、落ちられけるが、行方ゆくかた 知らずなりぬといふ。かかる時は、小舟こぶね柴舟しばふね の中も、あやしければ、さが し候はんといふに、など、わ僧、聞かぬやうにてくだ すぞ」 と言へば、 「さらば、よくは宣はで、御覧ごらん ぜよ」 とて、差し寄せたり。

さて頭殿は、鎌田を呼び寄せ、 「東海道は、もはや宿々警護が厳しいようだ」 と語りかけ、さらに重ねて、 「そうとなれば、東海道を下ることは不可能というもの。ここから、尾張国内海へ行こうと思うが、どうだ」 と相談したところ、鎌田は、 「鷲栖の玄光という者は、大炊の弟です。老いた山法師ですが、剛勇の者です。ぜひ頼んでごらんなさい」 答えた。そこで、金王丸を使いとして遣わし、 「ここから海上を渡し、尾張の内海へ行きたいが、どうしたものだろうか、ぜひ力を貸してくれ」 と頼んだところ、玄光は、「このようなこと以外で、どうして左馬頭殿の御依頼を受けることがあろうか。喜んで」 と返答、早速、小舟一艘を探し出して、これに左馬頭殿、平賀四郎、鎌田兵衛、金王丸の四人を乗せ、上には柴木を積んで、玄光一人棹をさして、杭瀬川を下った。折戸に関所を構えて、下り舟を探していたが、 「この舟を寄せよ」 と命じられても、玄光は聞えぬふりをして、舟を下そうとしたので、関の者どもは、 「憎らしい法師め」 とののしり、矢を番え射放したところ、その矢は舷につきささった。玄光は少しもあわてず、 「いったい何事で」 と言いながら寄っていった。関の者どもは、 「左馬頭殿が都を落ち延びたが、その行方がわからなくなったとのことだ。このような非常時には、小舟、柴舟の中も怪しいから探そうとしているのに、どうして、聞えぬふりをして通り過ぎようとするのか、この坊主めが」 と言う。玄光は 「まあまあ、つべこべ言わないで、御覧あれ」 と言いながら舟を寄せた。

『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館  ヨ リ
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