〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-W』 〜 〜
平 治 物 語 (下)

2012/09/11 (火) 頼 朝 青 墓 に 下 着 の 事 (一)

さるほど に、兵衛佐ひやうゑのすけ 頼朝よりとも のありさま、うけたまは るこそあはれなれ。雪のうち に捨てられて、 「正清まさきよ は候はぬか、金王丸こんわうまる はなきか」 と されけれども、なかりけり。 もすがら、雪のうち をさまよ はれけるが、小関こぜき の方へおはせずして、小平こひら といふ山寺やまでらふもとさととまよ づ。
東雲しののめ ほのぼののことなるに、小家こいへ の軒の下に立ち寄りて、聞きたまへば、家主いへあるじおぼ しくて、おとがね覚まして、 「あはれ、この山に落人おちうど かあるらん」 など言へば、妻女さいぢよおぼ しくて、女の声にて、 「落人あらば、いかに。およ ばぬことをば申すぞ」 と言へば、 「及ばぬことなれども、左馬頭殿さまのかうのとの をはじめとして、君達等きんだちとう 、あまた落ちられけるが、この山に かりたまひけるなり。この雪に、いかでか びたなふべき。 り奉りて、平家の見参げんざん に入れ、器量きりやう に及ぶ勧賞けんじやう にもあづかるぞかし。あはれ、山をさが してみばや」 と言へば、佐殿すけどの 、このよし 聞きたまひ、そこをばしの でたまひ、 る谷川のはた なる石に腰掛こしか け、休みておはしけるが、かたな いて、 「このついで に、ちか ひをやする。いかがせん」 と思ひわづら はけるところに、この里に、鵜飼うかひ の一人ありけるが、なにとなく佐殿すけどの を見たてまつ り、はし りて、 「これは、左馬頭殿の君達にて御わたり候ふか」 と言へども、佐殿、返事もしたまはず、鵜飼うかひ 申しけるは、 「左馬頭殿の君達にて御わたり候はば、何しにかく させたまひて候ふぞ。平家のさぶらひ ども、左馬頭殿の御あとたづまゐ らせつつ、 くだ り候ふなるが、 『この山へこも りたまへり』 とて、山をさが し候ひつるが、 『山にはおはせず』 とて、只今ただいまさとくだ り、家毎いへごと に探すべしと承り候ふ。 を見させたまふな。何方いづかた へもしの ばせたまひ候へ」 とぞ申しける。

さて、兵衛佐頼朝のご様子は承るにつけ、心うたれる。雪の中に置き去りにされて、 「正清はいないのか、金王丸はいないのか」 とお呼びになっても、返答はなかった。夜中、雪の中をさ迷ったが、小関の方には向かわず、小平という山寺の麓の里に迷い出た。東雲がほんのり明るくなる頃、小家の軒の下に立ち寄って、中の話を立ち聞きしていると、家の主人と思われる男が眼を覚まして、 「ああ、この山に落人がいるのだろうか」 など言うと、妻女と思われる女の声で、 「落人がいると、どうしたの。落人を捕まえることなど出来もしないことばかり言って」 と言う。そこで、主人がまた、 「出来ないことかも知れないが、左馬頭殿を始として、ご子息たちが大勢都から逃げ出したが、この山を通りかかるということだ。この雪では、どうして先に進むことが出来よう。捕えて、平家の御覧に入れ、それぞれ働きにふさわしい賞にあずかりたいものよ。さあ、山を探してみようか」 と言うので、佐殿はそこを静かに立ち去り、ある谷川の端の石に腰かけてひと休みすることにした。佐殿は、刀を抜き、 「この際、神仏に誓願でもしたものか、どうしよう」 と考えあぐねていたところ、この里には鵜飼が一人いたが、それがふと佐殿を見付けて走り寄り、 「あなたは左馬頭殿のご子息でいらっしゃるか」 と問いかけた。佐殿が返事もしないでいると、鵜飼が言うには、 「左馬頭殿のご子息でいらっしゃるのなら、どうしてお隠しになることがあろうか。平家の侍どもが、左馬頭殿の後をつけて都から出向いているということです。しかも、左馬頭殿はこの山に籠もっていると言って、山を探していたが、どうも山にはいないようだということになり、今は平家の武士ども、里に下って、家毎に探そうということになったようです。つらい目に遭いなさるな。どこぞなり身を潜めなさい」 と佐殿にまことに好意的であった。

『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館  ヨ リ
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