〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-W』 〜 〜
平 治 物 語 (中)

2012/09/10 (月) 常 葉 落 ち ら る る 事 (五)

つ子は、あゆつか れて、なに 心もなく、ひざかたは らにぞ したりける。 つ子は、ちち 義朝よしとも の事を忘れず、母が涙も きせねば、 ちとけまどろむ事もなし。つね は、かべむか ひて、忍ぶあま りの涙 へず、夜 けて、人しづ まりて後、母は八つ子が耳に密語ささや きけるは、 「あな、無慚むざん の者どもの有様ありざま や。世にある人は、十人二十人の子をそだ つる人もあるぞかし。おく先立さきだ つ事は、 き世の らひと ひながら、同じたけ諸白髪もろしらが になり、二親ふたおやあとためし もあるぞかし。明日あす 、いかなる者の手に懸かりて、何という はんずらん。水にやしづ み、土にやうづ まれんずらん。母とて我をたの まん事も、子としてなんぢはぐく まん事も、 くるを待つ余波なごり ぞかし」 と、泣く泣く口説くど きければ、今若いまわか 言ひけるは、 「われ 死なば、母はなに とかなるべきぞや」、 母は、 「おの れ等を先立さきだ てては、一日片時いちじつへんし へて るべき身ならばこそ。諸共もろとも にこそ死なんずらめ」 と言ひければ、今若、 「我はな れじとて、母も死なん事のうれ しさよ。母にだにも ひて らば、いのち しからず」 と言ひて、顔に顔を並べて、手に手を みて、泣き かす。程なき春の なれども、 かしかね、暁の空を待つ程に、とり八声やこゑ も寺のかねきこ えけり。

六つの子は歩き疲れたらしく、無邪気に、母の膝の辺りに寄り添って寝ていた。しかし、八つの子は、父義朝の事も忘れられず、母も悲しみの涙の尽きないのを見て、気がかりなことが多く不安で、一瞬たりといえども眠ることが出来なかった。壁に向かって横たわり、こらえようとするのだが涙は流れ出てきてとまらない。夜も更けて、人が寝静まったのを見はからって、母は八つの子の耳にささやいて、 「ああ、何ともむごいことよ。世間の人は、十人、二十人の子を育てることがあつという。夫々の宿運で、死の到来はまちまち、後れ先立つことなどこのつらい世では当然のことながら、それでも、同じぐらいの年齢、ともに白髪姿になるまで兄弟揃って生き長らえ、亡き両親の回向をするということだってあるのです。明日はどんな者の手にかかって、どんな目に遭うことだろうか。水に沈められるのだろうか、土に埋められるのだろうか。お前を頼りにし、そして育てる苦労あるというのも、何時まで許されることか、夜が明けたらどうなるか、気がかりでなりません」 と泣く泣く口説いた。今若は、 「もし私が死んだら、母者はどうなさいますか」 と言ったところ、母は、 「お前たちに先立たれでもしようものなら、一日、一瞬たりといえども、耐えていることなど出来ようはずがありません。せめて一緒に死にたいものです」 と答えるので、今若は、 「どこまでも一緒と、母も一緒に死んでくれるなんて嬉しいことよ。母者さえ一緒だったら、命だって惜しくない」 と顔を寄せ合い、手を取り合って泣き明かした。春の夜は短いとは言いながら、うつうつとして朝が待ち遠しくてならない。ようやく暁の空になったらしく、鶏の八声も寺の鐘の音も聞こえてきた。

『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館  ヨ リ
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