〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-W』 〜 〜
平 治 物 語 (中)

2012/09/10 (月) 常 葉 落 ち ら る る 事 (六)

夜もほのぼのと け行けば、子供をすが こして、 でなんとす。主人、 でて申しけるは、 「今日けふをさな い人々の御足をも休めまゐ らせ、雪晴れてのち何方いづかた へも御 で候へ」 とあなが ちにぞとどめ めける。名残なごり しき都なれども、子供たちがためにかた なれば、わか れ、あた りも遠く落ち行かばやと急げども、主人あるじなさけ められて、今日けふ伏見ふしみ らしけり。

夜もしだいにほんのりと明るくなってきたので、常葉は子供をあやして起し、この家を出発しようとした。この家の主が出て来て、 「今日はこの幼い子達の足を休ませ、雪が晴れてから、何方なりとお出かけなさい」 と強い引き留めてくれる。名残り惜しい都ではあるが、子供にとってはいつ捕らえられるか、いつ殺されるか不安いっぱいの土地なので、早くここを立ち去って、遠い土地に逃げ延びなければと心はあせるが、主人のありがたいお情けに従って、今日も伏見に留まることにした。

その夜も明け行けば、また、子供 こし、主人あるじいとま ひてぞ でにける。主人あるじはる かに門送かどおく りして、申しけるは、 「いかなる人の御所縁ゆかりく にてか、ふかしの ばせたまふらん。都近きこの里にとどまゐ らせん事、中々御いた はしければ、今日けふとどまゐ らせず。たれ とも知らぬ君ゆえ に、心をくだよし なさ、御心安き事になり、みやこ に住ませたまふ御事あらば、いや しき身なりとも、御たづ ねさぶらへ」 とて、なみだ を流しければ、常葉、 「さき の世の親子おやこ ならでは、かかるちぎ りあるべしとおぼ えず。いのち あらん程は、このこころざしいか でか忘れん」 とて、泣く泣く別れてけり。
その夜も明け、また子供を起こして、主人に別れの挨拶をして出発した。主も名残惜しそうに遥か遠くに立ち去るまで見送ろうと門口まで出て来て、 「どのようなお方と縁続きか存じませんが、何かご事情があるのでしょう。都近いこの里にお留めすることは、かえってお気の毒なので、今日はお留めいたしませんよ。どなたかよくも存じあげないあなたのことで、気を遣うこともたわいないこと、もし、うまくいって都にお住まいになるようなことがあれば、賤しい身ではありますが、また訪ねてお出でなさい」 と涙ながらに話しかけると、 「前世で親子だったのでしょうか。そうでなければ、こんなに暖かくしていただけるわけがありません。生きている限り、この御恩、絶対に忘れることはありません」 と礼を述べ、泣く泣く別れて行った。
道すがら、見る者、あは れみ、なさけ けをかけて、馬などにておく る者もあり。また、をさな い子供いだ き、五町十町おく りける程に、心やす く、大和国やまとのくに 宇陀郡うだのこほり きにけり。した しき者どもありけるに、尋ねあひて、 「子供が命助けんとて、たの みてまよくだ れり」 と言ひければ、この世の中をはばか りて、 「いかがあるべき」 と申し合ひしかども、 「をんな の身にて、遥々はるばる と頼み来たれるこころざしむな しくなさん事、不便ふびん なるべし」 とて、様々さまざま いたは りける程に、すえ の世までは知らず、今は心やす くぞなりにける。
道中、出会う人のなかにはこの親子を憐れんで、親切にしてくれ、馬で送ってくれることもあった。また、幼い子供を背負ったり抱いたりして、五町、十町と送ってくれ、たっとのことで、どうにか、大和国宇陀郡に到着した。遠縁に当る者がいるので、そこを尋ねあて、 「せめて子供の命なりとも助けたく、ここを頼りにして、どうにか迷いながらもやって参りました」 と言ったところ、この家の人々は世間を憚って 「どうしたものか」 と相談していたが、それでも、 「女の身で、苦労重ねてここまで尋ねて来てくれた志を裏切るわけにはいきません。お気の毒なことです」 と言ってくれ、あれこれ気を遣ってやさしくもてなしてくれるので、いつまでもというわけにはいかないだろうが、ともかく、今は気のやすまることであった。
『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館  ヨ リ