〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-W』 〜 〜
平 治 物 語 (中)

2012/09/10 (月) 常 葉 落 ち ら る る 事 (三)

頃は二月十日のあけぼの なれば、余寒よかん なほはげ しく、音羽川おとばがはなが れもこほ りつつ、みねあらしかへ り、道のつらら らず。また き曇り降る雪に、行くべきかた も見えざりけり。子供は、母にすす められて歩めども、足 れ、血 でて、たふ し、泣き悲しむ。母、 「これをいかがせん」 と、心のうち 、言ふはかりなし。子供の く声高き時は、 「たれ か聞くらん」 ときも し、行き会う人のあは れみとぶら ふをだにも、 「いかなる心ありてや」 と、たましひまど はす。母、あまりの悲しさに、子供の手を引きて、人の家のあたりしばら く休み、足に任せて歩みけり。人目のしげ からぬ時は、八つ子が耳にささやきて言ふやう、 「など、おのれ らは、道理ことわり をば知らぬぞ。ここは、かたきあた り、六波羅といふ所ぞかし。泣けば人にあや しまれ、左馬頭が子供とて らはれ、首ばし らるな。命惜しくは、な泣きそ。腹のうち にある時も、はかばかしき人の子は、母の言ふことを聞くとこそ聞け。まして、己らは、七つ八つに成るぞかし。などか、これ程のことを聞き知らざるべき」 と口説くど き泣けば、八つ子は、いま少し大人おとな しければ、母のいさごと を聞きて後は、涙は同じ涙にて、声立つばかりは泣かざりけり。六つ子は、もと の心にたふ れ伏し、 「寒や、つめ たや」 と泣き悲しむ。常葉、二歳のみどり懐中ふところいだ きたれば、六つ子を抱くべきやうなし。手を取りて歩み行く。 「左馬頭 たれぬ」 と聞きしのち は、湯水ゆみづ をだにも見ざりければ、蜻蛉かげ のごとくにおとろ へて、心まど ひのみしけるが、このなげ きを へて、消え入るばかり思へども、子供の事の悲しさに、春の日の長きをも忘れ、入相いりあひかね 聞くころ ぞ、伏見ふしみ の里に着きにける。
日暮れ、夜に れども、立ち寄るべきかた もなし。山陰やまかげ なる道のほとり に、人の家は見ゆれども、 「かたきあた りにやあらん」 「これも六波羅の家人けにん などの所にやらむ」 と思へば、宿やど るべきやうもなし。 「 かりける人の子の母となりて、かかるなげ きに ふことよ」 と、泣くよりほか の事ぞなき。かくて、野山にも恐ろしき者の多かんなるに、道のほとりおどろ が下に、親子四人の者ども、手を取り組み、身を へて泣きゐたり。

に二月十日の曙のころなので、余寒なおきびしく、音羽川の流れも凍ったまま、峰吹く嵐も寒々と吹き渡り、道の氷もまだとけない。またあたり一面薄暗く降る雪のため、どこをどう歩いているのかもわからなかった。子供は母に言われて仕方なく歩くのだけれども、足は腫れあがり、血が出て倒れ伏し、泣き悲しむ、母は、 「ああ、どうしたものか」 と心の中で言うしか何も出来ない。子供の泣く声が高いときは、誰かに聞かれたらと恐れおののき、行き会う人が同情してくれても、何を考えて親切にしてくれるのやらと疑い、心配の種は尽きない。常葉はあまりにもの悲しさに、子供の手を引いて、人家の辺りで暫く休んで、また、足の向かうに任せてさ迷った。あまり、人が通らない時を見はからって、八歳の長子の耳にささやいて、 「どうしてお前たちは聞き分けが悪いの。ここは敵の本拠、六波羅という所よ。泣き出すと人に怪しまれ、左馬頭の子供として捕らえられて、首を斬られてしまうのですよ。命が惜しかったら、泣いてはいけませんよ。たとい腹の中にいる時でも、立派な子供はお母さんの言う事を聞くというのじゃないの。まして、お前たちは七つ、八つになるのですよ。どういてこれぐらいのことがわからないの」 と泣き泣き諭したところ、八歳になる子はさすが大人びて聞き分けがよく、母に諫められた後は、涙はかわかずに流しても、声を出して泣くことはしなかった。しかし、六歳の子はもと通り、倒れ込んでは 「寒い、冷たい」 と泣き悲しんだ。常葉は二歳の幼児を懐中に抱いていることとて、六歳の子を抱くわけにはいかない。しかたなく、手をつないで、ともかく歩き出した。夫左馬頭が討たれたと聞いて以来、湯水さえも口にしなくなったので、蜻蛉のように衰えてしまって心配続きで、それに、子供を連れての逃避行の歎きが加わり、命終わるかに思われた。しかし、子供の行く末が気がかりでどうにか気を取り直し、春の日は長いといっても、この一日をどう過ごしたかうつろなまま、夕刻、入相の鐘を聞く時刻に伏見の里に着いた。
日は暮れ果て、夜に入っても、立ち寄ることのできそうな家はない。山陰の道の辺に、人家が見えるが、 「敵の家だろうか」 「この家も六波羅の家人などが住んでいるのだろうか」 と心配し出すと、宿を借りることも出来ない。 「思うに任せない幼い子の母となったばかりに、こんな歎きに遭わねばならないとは」 と泣くよりほかなかった。そこで、野山にも恐ろしい者が多いということなので、道の辺の棘の下で、親子四人は手を取り合って、お互い体を寄せあって泣いていた。

『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館  ヨ リ
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