〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-W』 〜 〜
平 治 物 語 (中)

2012/09/10 (月) 常 葉 落 ち ら る る 事 (二)

その夜も、観音くわんおん の御前に通夜つうや す。二人を左右さうひざ に置き、衣のつま せ、をさな きをば懐中ふところいだ きて、夜もすがら かす心のうち 、いふはかりなし。所々しょしよ より参詣さんけい貴賎きせんかたなら べ、ひざかさ ねて、 たり。 てぬ世の中なれども、過ぎがたき身の有様ありさま を祈るもあり、ある いは、司位つかさくらゐ の心にかな はぬを祈るもあり。常葉は、 「三人の子供が命を助けさせたまへ」 と祈るよりほかべち の心なし。九歳の年より月詣つきまうで を始めて、十五になりしより、十八日ごと に、観音経くわんおんぎやう 三十五巻読みたてまつ る事、おこた らず。本尊もいかでかあはれ れみを れさせたまはざるべき。 「大慈だいじ 大悲だいひ本誓ほんぜい には、定業ぢやうごふ の者をも助け、 ちたる草木も、花 るとこそうけたまは れ。南無なむ 千手千眼せんじゆせんげん 観世音くわんぜおん 菩薩ぼさつ 、三人の子供を助けましませ」 と、昼夜ちうや 口説くどいの り申せば、観音もいかにあは れと見たまふらんとぞおぼ えし。
その夜も、観音の前で通夜し祈った。二人の子を左右の膝の上に置いて、衣の褄を着せかけ、牛若を懐に抱いて、夜通し泣き明かしたことであるが、その心中、押しはかるにつけても同情を禁じ得ない。あちこちから参詣する輩、貴きも賎しきも、皆々混み合ったまま、肩を並べ、膝を重ねて大勢籠もっていた。このまま平穏無事に過ごして行けるほどの世の中ではないと知っていても、それにしても過ごし難い身のありさまを訴える者がいる。あるいは、司位が思い通りにならないのを訴える者もいる。常葉は、 「三人の子供の命、どうかお助けください」 とだけ祈った。常葉にしてみれば、九歳の時からここ清水寺に月詣でを始め、十五歳になった時からは、十八日毎に、 『観音経』 三十三巻を読み、怠ることはない。本尊とてどうして憐れみをかけてくだされないことがあとうかと固く信じていた。 「観音のお誓いには、たとい果報の定まっている者とて救い、枯れた草木でも、生き返らせて花咲き実の成る奇蹟が期待できると承っています。ああ、千手千眼の観世音菩薩様よ。どうかわが三人の子供をお助けください」 と昼夜くり返しくり返し口説き祈ったので、観音もどんなにかわいそうに見なさっているかと思われた。
あかつき 深く、ぼう へ行きけるに、湯漬ゆづけ などすす めけれども、むね ふさ がりて、いささかも見ざりけり。日来ひごろ まゐ りし時は、尋常じんじやう なる乗り物、下部しもべ牛飼うしかひ までも花やかに見えしかば、まこと左馬頭さまのかみ最愛さいあい の志もあらは れて、由々ゆゆ しくこそ見えしかば。今は人にあや しめられ、はかばかしき衣裳いしやう を着ず、いとけな き子供 れて。泣きしを れたるありさま、目も当てられず、 も涙をぞ流しける。 「この寺は、六波羅ろくはら ちか き所なれば、しばやす らふこともかな はず。神仏の御たす けならでは、頼むかた もさぶらはず。観音くわんおん にもいとま 申す」 とて、 の時に、清水寺を でて、大和路やまとぢ かり、何処いづく すとしもなく、南へ向きてぞ歩み行く。
明け方近く、常葉が師のいらっしゃる坊へ行ったところ、湯づけなどを振舞われたけれども、胸がいっぱいになって、ほんの少しも食べようとはしない。いつも参詣する時は立派な乗り物、下部の者、牛飼にいたるまできらびやかに着飾っていたので、なるほど、左頭馬に深く愛されているお方だとすぐ分かり、おごそかにさえ見えた。それにひきかえ、今は人に怪しまれ、ちゃんとした衣裳を着ることもならず、幼い子供を連れて、泣き萎れているご様子、お気の毒このうえなく見ていられない程で、師も涙を流した。 「この寺は、六波羅に近い所なので、ほんの僅かといえども休息するにふさわしくないようです。私に取りまして、神仏におすがりして助けていただく以外、今となりましては手立てはございません。しかし、やむを得ないこと、観音様にもお別れをしなければなりません」 と常葉は言い、朝まだ早い六時頃、清水寺を出て、大和路に通りかかり、どこをさすべきというあてのないまま、とりあえず、南の方へ向かって歩いて行った。
『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館  ヨ リ
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