同二十三日、長田
の父子ふし 、勧賞けんじやう
行おこな はれ、忠到ただむね
は壱岐守いきのかみ になる。景到かげむね
は兵衛尉ひやうゑのじよう になる。
「官くわん をならば、左馬頭さまのかみ
にもなり、国くに 賜たまは
らば、義朝よしとも どもの後あと
、播磨国はりまのくに か、本国尾張国おはりのくに
をも賜りたらばこそ、理運りうん
の抽賞ちうしやう ならめ。義朝、奥州あうしう
などへ下着げちやく してあらんには、貞任さだたふ
、宗任むねたふ にや劣おと
るべき。従ふところの兵つはもの
、幾いく 千万か候はんずらん。それを、ここにて、事故ことゆえ
なく打う ち取と
りて進まゐ らせて候はば、抜群ばつぐん
の奉公ほうこう にてこそ候へ」
と申し候へば、筑後守ちくごのかみ
家貞いえさだ 、 「あはれ、き奴やつ
を六条河原ろくづがはら に磔はりつけ
にして、京中の上下に見せ候はばや。相伝そうでん
の主しゆ と、婿むこ
とを殺して、勧賞けんじやう 蒙かうぶ
らんと申す悪にく さよ。頸くび
を斬き らせたまへかし」 と申しければ、大弐、宣のたま
ひけるは、 「さらんにとりては、朝敵てうてき
を討う ち奉たてまつ
る者、誰たれ かあるべき」 とぞ。
「もし、行末ゆくすえ に、源氏げんじ
世に出い づる事あらば、忠到ただむね
・景到かげむね 、いかなる目をか見んずらん」
と、悪にく まぬ者なし。 |
同二十三日、長田父子に賞が与えられ、忠到は壱岐守になり、景至は兵衛尉になった。
「官をいただくならば左馬頭にもなり、国をいただくのであれば義朝どもの後を襲って播磨国か、ゆかりの尾張国でもいただくのなら、道理にかなった賞というべきだろう。もし、義朝が奥州などへたどり着いていたら、貞任、宗任にも劣らない手強い相手になっていたことだろう。従うところの兵は幾千万か、ともかく大勢となっていたにちがいない。それを、自分のところで、何の騒動もなく討ち取ったのだから、抜群の奉公というものだろう」
と長田父子が訴えたところ、筑後守家貞は、 「ああ、あいつらを六条河原で磔にして、京中の人々に見せてやらねばならぬ。相伝の主と婿を殺しておいて、賞をいただこうというのだから憎いことよ。私に首を斬らせてくだされ」
と言う。さすが、大弐清盛は、 「もしそのようなことをしてみろ。朝敵を討ち取ろうとする者はいまくなるぞ」 といさめた。 「もし、将来、源氏の世になるようなことがあったなら、忠到や景到はどんな手ひどい仕返しをうけることか」
と人々は皆、長田父子のことを憎んだ。 |
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『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館 ヨ
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