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平 治 物 語 (中)

2012/09/08 (土) 忠 到 勧 賞 の 事 付けたり 非 難 の 事

同二十三日、長田をさだ父子ふし勧賞けんじやう おこな はれ、忠到ただむね壱岐守いきのかみ になる。景到かげむね兵衛尉ひやうゑのじよう になる。 「くわん をならば、左馬頭さまのかみ にもなり、くに たまは らば、義朝よしとも どものあと播磨国はりまのくに か、本国尾張国おはりのくに をも賜りたらばこそ、理運りうん抽賞ちうしやう ならめ。義朝、奥州あうしう などへ下着げちやく してあらんには、貞任さだたふ宗任むねたふ にやおと るべき。従ふところのつはものいく 千万か候はんずらん。それを、ここにて、事故ことゆえ なく りてまゐ らせて候はば、抜群ばつぐん奉公ほうこう にてこそ候へ」 と申し候へば、筑後守ちくごのかみ 家貞いえさだ 、 「あはれ、きやつ六条河原ろくづがはらはりつけ にして、京中の上下に見せ候はばや。相伝そうでんしゆ と、婿むこ とを殺して、勧賞けんじやう かうぶ らんと申すにく さよ。くび らせたまへかし」 と申しければ、大弐、のたま ひけるは、 「さらんにとりては、朝敵てうてきたてまつ る者、たれ かあるべき」 とぞ。 「もし、行末ゆくすえ に、源氏げんじ 世に づる事あらば、忠到ただむね景到かげむね 、いかなる目をか見んずらん」 と、にく まぬ者なし。
同二十三日、長田父子に賞が与えられ、忠到は壱岐守になり、景至は兵衛尉になった。 「官をいただくならば左馬頭にもなり、国をいただくのであれば義朝どもの後を襲って播磨国か、ゆかりの尾張国でもいただくのなら、道理にかなった賞というべきだろう。もし、義朝が奥州などへたどり着いていたら、貞任、宗任にも劣らない手強い相手になっていたことだろう。従うところの兵は幾千万か、ともかく大勢となっていたにちがいない。それを、自分のところで、何の騒動もなく討ち取ったのだから、抜群の奉公というものだろう」 と長田父子が訴えたところ、筑後守家貞は、 「ああ、あいつらを六条河原で磔にして、京中の人々に見せてやらねばならぬ。相伝の主と婿を殺しておいて、賞をいただこうというのだから憎いことよ。私に首を斬らせてくだされ」 と言う。さすが、大弐清盛は、 「もしそのようなことをしてみろ。朝敵を討ち取ろうとする者はいまくなるぞ」 といさめた。 「もし、将来、源氏の世になるようなことがあったなら、忠到や景到はどんな手ひどい仕返しをうけることか」 と人々は皆、長田父子のことを憎んだ。
『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館  ヨ リ
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