同二十一日午の刻に、難波
二郎に仰おほ せて、、六波羅にて斬き
られけり。悪源太あくげんだ 申しけるは、
「清盛きよもり を始めて、伊勢いせ
平氏へいじ ほど、物にも思おぼ
えぬ奴原やつばら こそなけれ。保元ほうげん
の合戦の時、源平げんべい 両家りようか
の者ども、幾いく 千万か誅ちゆう
せられし。弓矢ゆみや 取る身は、敵かたき
に恥はぢ を与あた
へじと互ひに思おも ふこそ、本意ほんい
なれ。さすがに、義平よしひら
ほどの者を、白昼はくちう に斬き
るやうやある。運うん の極きは
めなれば、今生こんじやう にてこそ合戦に打う
ち負ま けて、恥辱ちじよく
をかくとも、来世にては必ず魔縁まえん
となるか、しからずは、雷電らいでん
となりて、清盛を始はじ めて汝なんぢ
に至るまで、一々に蹴け 殺ころ
さんずるぞ。保元には、為朝ためとも
、 『高松殿たかまつどの を夜討よう
ちにせん』 と申ししを、用もち
ゐられずして、軍いくさ に負けぬ。今度の合戦には、清盛が熊野くまの
へ参りしを、義平、 『追お つ駆か
けて、湯浅ゆあさ 、鹿瀬ししのせ
の辺へん をば遣や
り過す ぐさじ、浄衣じやうえ
、立烏帽子たてえぼし 着き
たらん奴やつ を手捕てど
りにせん』 と申ししを、 『事の外ほか
なる擬勢ぎせい なり』 とて、用ゐられず。後悔こうくわい
至いた り畢をは
んぬ。今に至り益えき なし。疾と
く疾と く斬き
れ」 とて、頸くび を伸の
べてぞ斬られける。 |
同二十一日午の刻に、難波二郎に命じて、悪源太は六波羅で斬られた。悪源太は、
「清盛を始め伊勢平氏ほど思慮に欠けた者はいない。保元の合戦の時、源平両家の兵どもが多く討たれた。武士たる者、敵に恥を与えまいと互いに思うのが当然のことだろう。それなのに義平ほどの者、白昼斬るなどあっていいはずがない。運が尽き果ててしまったことなので、今生では合戦に敗れて武名を汚してしまったが、来世では、必ず魔縁となるか、さもなくば、雷電となって、清盛以下、難波二郎よ、お前に至るまで、一々に蹴り殺してやるつもりよ。保元の合戦の折は、為朝が
『高松殿を夜討にしよう』 と進言したのが、受け入れてもらえず、合戦では負けてしまった。この度の合戦でも、清盛が熊野に出かけた際、自分は、 『追い駆けて、湯浅、鹿の瀬の辺りに行き着く前に、浄衣、立烏帽子着ている者どもをふん捕まえてやろう』
と進言したが、思いの外の強がりとなり、この策が受け入れられることもなく、今更後悔しても始まらない。早く斬ってくれ」 と言うや、いさぎよく首を伸ばして、すかさず斬られた。
|
|
『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館 ヨ
リ |