〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-W』 〜 〜
平 治 物 語 (中)

2012/09/06 (木) 金 王 丸 尾 張 よ り 馳 せ 上 る 事 (五)

くは しくかた り申しければ、常葉とくは 、これを聞きて、 「あづまかたたの もしき所とてくだ りたまひしかば、はる かに海山うみやまへだ つとも、この世におはせばと、音信おとづれ をこそ待ちつるに、またもかへ らぬ別れの道、何時いつ を待つとて、我が 命の残るらん。淵川ふちかは にも身を げて、うらめしき世に まじと思へども、子供はたれ をか頼むべき。よし なきわす形見がたみ ゆえ しからぬ身を惜しむかな」 と、泣き悲しみければ、六つになる乙若おとわか 、母の顔を見上みあ げて、涙を流し、 「母、 げたまひそ。我らがおな じく候はんずるに」 と言ひければ、童もいとど涙を流しける。
金王丸こんわうまる 、重ねて申しけるは、 「道すがらも、君達きんだち の御事をのみ御心もとなき事におほ せられ候ひし。この事おそきこ されば、しの ばせたまふ御事もなくて、いかなる御事か候はんずらんと、をさな き人々の御ために、かひ なきいのち きて、これまで参りて候ふなり。こけ の草のかげ にても御覧候へ。奉公これまでにて候へば、今は出家つかまつり、御菩提ぼだい をこそとぶらたてまつ り候はんずれ。いとま 申して」 とて、正月五日のゆふべ 、泣く泣く でにけり。 「 頭殿かうのとの余波なごり とては、この童ばかりこそあれ」 とて、常葉ときは をはじめとして、家中にある程の者ども、人目をはなか らず、声々こゑごゑ に泣き悲しみけり。
と金王丸は詳しく語った。常葉はこの報告を聞くや、 「東の方が頼りになるからと下って行かれなさった後は、たとい遥か海山を隔てていても、この世に生きていらっしゃる限り、いつかは訪ねて来てくださると望みをかけていましたのに、お亡くなりになったとあれば、いつまで待ったとて甲斐のないことです。淵川にでも身を投げて、このつらい世を捨てたいと思っても、子供のことを頼める方もいません。このふびんな子供を形見として残され、惜しくもない命を惜しまねばならぬとは」 と泣き悲しむ。六つになる乙若が母の顔を見上げて泣きながら、 「母者、身を投げないで。私達だって悲しく思っているのに」 と言うのを聞くや、金王丸もいっそう泣き悲しんだ。
金王丸は、さらにまた、 「敗走の途中も、頭殿はお子さん方のことが気がかりとおっしゃっておいででした。ご報告が遅くなりましたら、お子さん方も、どこかに身を隠すこともなく、どんな目にお遭いになることかと案じて、お子さん方大事と、ともかく生きて、ご報告にうかがったのです。頭殿よ、草葉の蔭からも見守りください。主君を失って奉公ももはやこれまで、出家をいたし、頭殿の御菩提を弔ってまいります。これでお別れを」 と告げて、正月七日の夕刻、泣く泣くそこを出た。 「頭殿にゆかりある者はこの童だけになってしまった」 とばかり、常葉をはじめ、家中の者は、人目を気にするゆとりもなく、声をあげて泣き悲しまれた。
『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館  ヨ リ
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