〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-W』 〜 〜
平 治 物 語 (中)

2012/09/06 (木) 金 王 丸 尾 張 よ り 馳 せ 上 る 事 (四)

杭瀬川くひせがは でさせたまひ候ひし程に、ふねくだ りしを、 「便船びんせん 」 と仰せければ、子細しさい なく乗せまゐ らせ候ひぬ。この舟の法師は、養老寺やうらうじ住僧ぢゆうそう 鷲栖玄光わしのすのげんくわうなり。頭殿をあや しげに まゐ らせて、 「人につつ む御身にて候はば、かやしたかく れさせたまへ」 とて、頭殿、鎌田かまだ 、このわらは にも、積みたるかや を取りかづ け、国府津こふづ と申す所に、関所せきしよ ありけるまへ をも、 「萱舟かやぶね 」 と申して通り候ひぬ。

頭殿の一行は杭瀬川にたどり着いて、ちょうど舟が通りかかったので 「乗せてくれ」 と頼んだところ、何の疑いもかけず快く乗せてくれた。この舟を操っている法師は、養老寺の住職鷲栖玄光という者であった。頭殿を不審そうに見やりながら、 「人の追われている身なら、そこの萱の下に隠れるがよい」 と言って、頭殿と鎌田、そして私までを、積んでいた萱をかぶせてくれ、国府津という所に関所があったが、 「萱舟」 と偽って、無事通りぬけることが出来た。

去年こぞ 十二月二十九日、尾張国おわりのくに 野間のま内海うつみ長田庄司しやうじ 忠到ただむね宿所しゆくしよ かせたまひ候ひぬ。この忠到は、御当家ごたうけ 重代ぢゆうだい奉公人ほうこうにん なる上、鎌田かまだ 兵衛びやうゑしうと なれば、御たの みあるも道理なり。 「馬、物具ものぐ などまゐ らせ、子供、郎等らうどう 引き具して、御ともまゐ るべき」 よし を申して、 「しば く、御逗留とうりう ありて、御やす み候ふべし」 とて、湯殿ゆどの きよ めて入れまゐ らせ候ひぬ。鎌田をば舅がもと びて、もてなすよし にて、 ち候ひぬ。その後、忠到が郎等七、八人、湯殿ゆどの へ参り、討ち まゐ らせ候ひしに、よひ に討たれたるをば ろし さで、 「鎌田はなきか」 と、ただ一声ひとこゑ おほ せられて候ひしかばかりにて候ふ。この童は、御佩刀はかせいだ きて して候ひしを、をさな ければとや思ひ候ひけん、目懸めか くる者も候はざりしを、御佩刀を抜きて、頭殿まゐ らせ候ふ者二人ににんころ し候ひぬ。同じく忠到を討ち取り候はばやと存じて、長田が家の中へ走り入りて候へども、うち へ逃げ入りて候ひし程に、力およ ばで、庭に鞍置馬くらおきむま の候ひしを、取りて乗り、三日にまかのぼ りて候ふなり。
去年の十二月二十九日に、尾張国野間の内海、長田庄司忠到の宿所に到着しました。この忠到は、源氏重代の奉公人である上、鎌田兵衛の舅であったので、頼りにされたのも当然のことである。 「馬や武具を奉って、子供や郎等引き連れてお供しましょう」 と言ってくれ、また、 「暫く逗留なさって、お体休めなさったらいいでしょう」 と湯殿を清めて頭殿を案内した。鎌田を舅の許へ呼び寄せて、もてなすふりをして討った。その後、忠到の郎等七、八人ほどで湯殿へ行き頭殿を討とうとした。頭殿は鎌田が宵に討たれてしまったことも知らず、 「鎌田はいないのか」 と一声をあげたのがやっとで討たれてしまいました。私は主君の御刀をしっかり抱いて伏していましたのを、幼い者と軽く見たのだろう、誰も用心していません。そこで、主君の御刀を抜いて、頭殿を討ち果たした者二人を斬り殺した。どうせなら、忠到も討ち取ろうと、長田の家の中に走り込んで探したが、内の方に逃げ込んでしまったらしい。仕方なく、庭に鞍置き馬がいたのを幸い、それを盗んで、三日かけてやって参りました。
『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館  ヨ リ
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