美濃国
青墓あをはか の宿しゆく
に大炊おほひ と申す遊君いうくん
は頭殿年来ねんらい の御宿やど
の主あるじ なり。その腹はら
に姫ひめ 一人いちにん
まします。この屋や へ着つ
かせたまひぬ。鎌田かまだ 兵衛びやうゑ
も、今様いまやう 唄うた
ひの延寿えんじゆ が許もと
に着つ き候ひぬ。この遊女いうぢよ
ども、様々さまざま にもてなし進まゐ
らせ候ひし最中さいちゆう に、在地の者ども、
「この宿しゆく に落人おちうど
籠こも りたり。捜さが
し捕と れ」 とひしめきけり。頭殿、
「いかがせん」 と仰せ候ひしを、佐渡式部大夫さどのしきぶのたいふ殿、
「御命いのち に、重成しげなり
、替かは り進まゐ
らせん」 とて、頭殿の錦にしき
の直垂ひたたれ を召し、馬にひたと乗らせたまひて、北きた
の山際やまぎは へ馳は
せ上あが がりたまひしところに、地下人じげびと
等ら 追お
つ駆か け奉たてまつ
りけるあひだ、式部大夫、太刀たち
を抜ぬ きて追ひ払ひ、 「己おの
れ等ら が手には懸か
かるまじきぞ」 と、 「我をば誰たれ
と思ふ。源氏の大将だいしやう
、左馬頭義朝」 と名乗なの り、御自害じがい
候ひぬ。宿人等しゆくにんら 、
「左馬頭義朝、討う ち留とど
めたり」 と悦よろこ びて、大炊おほい
が後苑こうゑん の倉屋くらや
に、頭殿の隠かく れてましますをば知らず。 |
美濃国青墓の宿で、大炊という遊君は、頭殿の長年の御宿の主である。その遊君との間に娘が一人いらしたが、この宿屋に尾着きになった。鎌田兵衛も、今様歌いの延寿も許に着いた。この遊女どもが、様々にもてなしをしている最中に、土地の者どもが、
「この宿には落人が籠もっている。捜して捕まえろ」 と大勢で押しかけて来た。頭殿が、 「どうしたものか」 とおっしゃったところ、佐渡式部大夫殿が、 「殿の御命の替わり、重成がつとめましょう」
と言い、頭殿の錦の直垂を着して、馬にしっかり乗り、北の山際の方に馬を走らせたのを、土地の者どもが追いかけて来た。そこで、式部大夫は太刀を抜いて追い払い、 「お前たちの手にかかるわけにはいかない」
と言いかけ、 「俺のことを誰と思うか。源氏の大将、左馬頭義朝よ」 と名乗って自害なさった。土地の者どもはこれを知らず、 「左馬頭義朝を討ち取った」 と喜んで、大炊の裏庭の倉に、頭殿が隠れていらしたのに気付かなかった。 |
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夜よ
に入りて、頭殿、宿しゆく を出でさせたまふところに、中宮大夫進ちゆうぐうのたいふのしん殿、竜華越りゆうげごえ
の軍いくさ に膝ひざ
の節ふし を射い
させて、遠路えんろ を馳は
せ過す ぎ、雪の中を徒歩かち
にて分わ けさせたまひし程に、腫は
れ損そん じ、一足ひとあし
も動はたら かせたまふべきやうもなし。
「甚手いたで にて、御供とも
申すべしとも思おぼ えず。暇いとま
賜た ばせたまへ」 と申されしかば、頭殿、
「いかにもして、供とも せよかし」
と仰おほ せられ候ひしかども、大夫進殿、涙なみだ
を流させたまひて、 「適かな
ふべくは、いかでか御手に懸からんと申すべき」 とて、御頸くび
を伸の べさせたまひたりしを、頭殿、為せ
ん方かた なく、即やが
て打う ち落おと
し進まゐ らせて、衣きぬ
引ひ き被かづ
け、 出い でさせたまひぬ。 上総介かづさのすけ
八郎広常ひろつね 、 「人数ひとかず
多数あまた にて、路次ろし
も難儀なんぎ に候はんずれば、東国より御上のぼ
りの時、勢せい 語かた
らひて参まい り合あ
はん」 とて、暇いとま 申して留とど
まりぬ。 |
夜になり、頭殿が宿を出発しようとなさっていると、中宮大夫進殿が、竜華越で戦った時、膝の関節あたりを射られてしまい、また遠路馬を駆って無理をし、さらに、徒歩で雪をかき分けての敗走がたたって、足は腫れに腫れて、もい一歩も歩けないことがわかった。
「傷も重く、とてもお供出来そうにはありません。お暇をください」 と懇願したところ、頭殿は、 「なんとかがんばって、供をせよ」 とお許しにならない。しかし、大夫進殿は涙ながらに、
「む動けうにありません、せめて頭殿の手で殺してください」 とばかり、首を頭殿の方に伸ばしたところ、頭殿もどうしようもなく、すぐさま大夫進殿の首を切り落とし、死体を衣類で覆って、出発なさった。 上総介八郎広常は、
「供の人数が多くてはこれからの道中も思いやられるので、私はここでお別れし、また頭殿が東国から軍勢語らって都を攻めなさる時、私も軍勢集めて参加しましょう」 と言って、お別れすることになり留まった。 |
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『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館 ヨ
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