金王丸、語り申しけるは、 「頭殿
、軍いくさ に打ち負けさせたまひて、大原おほはら
へ懸か からせたまふ。八瀬やせ
、竜華越りゆうげごえ 、所々ところどころ
にて御合戦候ひしが、打ち払ひて、西近江にしあふみ
へ出い でさせたまひ、北国ほつこく
より馳は せ上のぼ
る勢ぜい のやうに、東坂本ひんがしさかもと
、戸津とづ 、唐崎からさき
、志賀しが の浦うら
を通らせたまひしかども、何とも申す者も候はず。瀬田せた
を御舟ふね にて渡り、野路のぢ
より三上みかみ の岳だけ
の麓ふもと に沿そ
ひて、鏡山かがみやま の木隠こがく
れに紛まぎ れ、愛知川えちがわ
へ御出い で候ひしが、 「兵衛佐ひやうゑのすけ
」 と仰おほ せられしかども、御返事いらへ
も候はざりし程に、 「あな、無慚むざん
や。早はや 下さが
りにけり」 と御歎なげ き候ひしかば、信濃平賀しなののひらがの
四郎、取って返して、佐殿すけどの
に尋ね会ひ進らせて、小野おの
の宿しゆく にて追お
つ着き進まゐ らせて候ひしかば、頭殿、よに嬉うれ
しげに 思おぼ し召め
して、 「いかに、頼朝よりとも
はなど下さが りたりけるぞ」
と仰おほ せられ候ひしかば、
「遠路えんろ を夜もすがら打ち候ひぬ。夜明けて後、篠原堤しのはらつづみ
の辺へん にて呼ばはり候ふあひだ、目を見明みあ
けて候へば、男おとこ 五十余よ
人、取り籠こ め候ひし程に、太刀たち
を抜き、馬の口くち に取り付きて候ふ男の首くび
を斬き り割わ
り候ひぬ。いま一人いちにん をば、腕うで
を打う ち落おと
し候ひし。少々は蹴倒けたふ され候ひぬ。二人ににん
が討う たるるを見て、残のこ
る所の奴原やつばら は、ばつと退の
き候ひし、中を破やぶ りて参りて候ふ」
と御申し候ひしかば、頭殿かうのとの
、実まこと に御心地ここち
よげにて、 「いしうしたり」 と誉ほ
め進まゐ らせさせたまひ候ひき。 |
金王丸が常葉に語った報告とは次の通り。 頭殿は合戦に負けて、大原へ向かわれました。八瀬、竜華越など所々で合戦なさったが、敵を打ち払って西近江へ出なさり、北国から上京する軍勢のように見せかけて、東坂本、戸津、唐崎、志賀の裏を通り抜けられましたが、何ともとがめだてする者はいません。瀬田川を御舟で渡り、野路から三上山の麓に沿いながら、鏡山の深く木が茂っている所に身をひそませながら、愛知川にたどり着きました。頭殿が
「兵衛佐」 と呼びかけられたが、御返事がなかったので、 「ああ、ふびんなことよ。もう遅れてしまった」 とお歎きになるので、信濃平賀四郎が引き返して、佐殿を探し出すことが出来て、小野宿で追い着いたところ、頭殿はたいそう嬉しそうなご様子で、
「どうした、頼朝はどうして遅れたのか」 とおっしゃたところ、頼朝は、 「遠路夜通し馬を走らせました。夜が明けた後、篠原堤の辺で声をかける者がいるので、目を開けて見たところ、男五十余人に取り囲まれていたので、私は太刀を抜いて、馬の口に取り付いている男の首を切り割りました。いま一人は腕を打ち落し、少しは蹴倒されそうになりました。二人が討たれたのを見て、残りの者どもは、さっと後ろにさがったので、その中を通り抜けて来たのです」
と報告されたので、頭殿はたいそう御機嫌がよく、 「よくやった」 とお誉めになっていました。 |
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不破ふは
の関せき をば敵てき
固かた めたる由よし
聞きこ えし程に、深き山に懸か
かりて、知らぬ道を迷まよ はせたまふ。雪深くて、御馬を捨て、木に取り付き、萱かや
にすがり、嶮岨けんそ を越こ
えさせたまふに、兵衛佐殿、御馬にてこそ大人おとな
と同じやうにおはししが、徒歩かち
にては適かな はせたまはず。頭殿、深き雪の中に休らはせたまひて、
「兵衛佐」 と仰おほ せ候ひしかども、御返事いらへ
もなかりしかば、 「あな無慚むざん
や。人に生捕いけど られんずらん」
と、御涙をはらはらと落おと させたまひ候ひしかば、人々、袖をこそ絞しぼ
り候ひしか。 鎌倉かまくら
の御曹司ぞうし を呼び進まゐ
らせて、 「わ君きみ は、甲斐かひ
・信濃しなの へ下くだ
りて、山道さんだう より攻せめ
め上のぼ れ。義朝よしとも
は、東国へ下くだ りて、海道かいだう
より攻せ め上のぼ
らんずるぞ」 仰せられしかば、悪源太あくげんた
殿は、飛騨ひだの 国の方かた
へとて、ただ御一所いつしよ 、山の嶺ね
につきて落ちさせたまひ候ひぬ。 |
不破の関を敵が警護しているとのことなので、山深い所を通り、どことも分からぬ道を迷いました。雪が深いので、馬を乗り捨てて、徒歩で木に取り付いたり、萱にすがったり、山嶮しいあたりを越えましたが、兵衛佐殿は、馬に乗っている時こそ大人と同じように気丈にいていらしたが、さすが徒歩になると付いて行けない。
「兵衛佐」 と頭殿が呼びかけられても、御返事がなかったので、 「ああ、ふびんなことをした。誰かに生捕られてしまったか」 と言い、涙をはらはらと落しなさったので、まわりの人々も皆泣きあった。 頭殿は鎌倉の御曹司義平を飛び寄せて、
「お前は、甲斐、信濃に下って、兵を集めて中山道から攻め上って来い。義朝は、いったん東国に下ってから、東海道から攻め上るつもりよ」 とおっしゃったので、悪源太義平殿は、飛騨国目指して、供も連れずただ一人、山の嶺伝いに落ちて行った。 |
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『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館 ヨ
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