〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-W』 〜 〜
平 治 物 語 (中)

2012/09/05 (水) 金 王 丸 尾 張 よ り 馳 せ 上 る 事 (二)

金王丸、語り申しけるは、
頭殿かうのとのいくさ に打ち負けさせたまひて、大原おほはら からせたまふ。八瀬やせ竜華越りゆうげごえ所々ところどころ にて御合戦候ひしが、打ち払ひて、西近江にしあふみ でさせたまひ、北国ほつこく よりのぼぜい のやうに、東坂本ひんがしさかもと戸津とづ唐崎からさき志賀しがうら を通らせたまひしかども、何とも申す者も候はず。瀬田せた を御ふね にて渡り、野路のぢ より三上みかみだけふもと沿 ひて、鏡山かがみやま木隠こがく れにまぎ れ、愛知川えちがわ へ御 で候ひしが、 「兵衛佐ひやうゑのすけ 」 とおほ せられしかども、御返事いらへ も候はざりし程に、 「あな、無慚むざん や。はや さが りにけり」 と御なげ き候ひしかば、信濃平賀しなののひらがの 四郎、取って返して、佐殿すけどの に尋ね会ひ進らせて、小野おの宿しゆく にて つ着きまゐ らせて候ひしかば、頭殿、よにうれ しげに おぼ して、 「いかに、頼朝よりとも はなどさが りたりけるぞ」 とおほ せられ候ひしかば、 「遠路えんろ を夜もすがら打ち候ひぬ。夜明けて後、篠原堤しのはらつづみへん にて呼ばはり候ふあひだ、目を見明みあ けて候へば、おとこ 五十 人、取り め候ひし程に、太刀たち を抜き、馬のくち に取り付きて候ふ男のくび り候ひぬ。いま一人いちにん をば、うでおと し候ひし。少々は蹴倒けたふ され候ひぬ。二人ににん たるるを見て、のこ る所の奴原やつばら は、ばつと退 き候ひし、中をやぶ りて参りて候ふ」 と御申し候ひしかば、頭殿かうのとのまこと に御心地ここち よげにて、 「いしうしたり」 とまゐ らせさせたまひ候ひき。

金王丸が常葉に語った報告とは次の通り。
頭殿は合戦に負けて、大原へ向かわれました。八瀬、竜華越など所々で合戦なさったが、敵を打ち払って西近江へ出なさり、北国から上京する軍勢のように見せかけて、東坂本、戸津、唐崎、志賀の裏を通り抜けられましたが、何ともとがめだてする者はいません。瀬田川を御舟で渡り、野路から三上山の麓に沿いながら、鏡山の深く木が茂っている所に身をひそませながら、愛知川にたどり着きました。頭殿が 「兵衛佐」 と呼びかけられたが、御返事がなかったので、 「ああ、ふびんなことよ。もう遅れてしまった」 とお歎きになるので、信濃平賀四郎が引き返して、佐殿を探し出すことが出来て、小野宿で追い着いたところ、頭殿はたいそう嬉しそうなご様子で、 「どうした、頼朝はどうして遅れたのか」 とおっしゃたところ、頼朝は、 「遠路夜通し馬を走らせました。夜が明けた後、篠原堤の辺で声をかける者がいるので、目を開けて見たところ、男五十余人に取り囲まれていたので、私は太刀を抜いて、馬の口に取り付いている男の首を切り割りました。いま一人は腕を打ち落し、少しは蹴倒されそうになりました。二人が討たれたのを見て、残りの者どもは、さっと後ろにさがったので、その中を通り抜けて来たのです」 と報告されたので、頭殿はたいそう御機嫌がよく、 「よくやった」 とお誉めになっていました。

不破ふはせき をばてき かた めたるよし きこ えし程に、深き山に かりて、知らぬ道をまよ はせたまふ。雪深くて、御馬を捨て、木に取り付き、かや にすがり、嶮岨けんそ えさせたまふに、兵衛佐殿、御馬にてこそ大人おとな と同じやうにおはししが、徒歩かち にてはかな はせたまはず。頭殿、深き雪の中に休らはせたまひて、 「兵衛佐」 とおほ せ候ひしかども、御返事いらへ もなかりしかば、 「あな無慚むざん や。人に生捕いけど られんずらん」 と、御涙をはらはらとおと させたまひ候ひしかば、人々、袖をこそしぼ り候ひしか。
鎌倉かまくら の御曹司ぞうし を呼びまゐ らせて、 「わきみ は、甲斐かひ信濃しなのくだ りて、山道さんだう よりせめのぼ れ。義朝よしとも は、東国へくだ りて、海道かいだう よりのぼ らんずるぞ」 仰せられしかば、悪源太あくげんた 殿は、飛騨ひだの 国のかた へとて、ただ御一所いつしよ 、山の につきて落ちさせたまひ候ひぬ。
不破の関を敵が警護しているとのことなので、山深い所を通り、どことも分からぬ道を迷いました。雪が深いので、馬を乗り捨てて、徒歩で木に取り付いたり、萱にすがったり、山嶮しいあたりを越えましたが、兵衛佐殿は、馬に乗っている時こそ大人と同じように気丈にいていらしたが、さすが徒歩になると付いて行けない。 「兵衛佐」 と頭殿が呼びかけられても、御返事がなかったので、 「ああ、ふびんなことをした。誰かに生捕られてしまったか」 と言い、涙をはらはらと落しなさったので、まわりの人々も皆泣きあった。
頭殿は鎌倉の御曹司義平を飛び寄せて、 「お前は、甲斐、信濃に下って、兵を集めて中山道から攻め上って来い。義朝は、いったん東国に下ってから、東海道から攻め上るつもりよ」 とおっしゃったので、悪源太義平殿は、飛騨国目指して、供も連れずただ一人、山の嶺伝いに落ちて行った。
『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館  ヨ リ
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