少納言
入道にふだう 信西しんぜい
が子供、僧俗そうぞく 十二人、遠流をんる
に処しよ せられけり。 「君のために命を捨てたりし忠臣ちゆうしん
の子供なれば、信頼のぶより ・義朝よしとも
に流されたりとも、朝敵てうてき
亡ほろ びなば、召め
し遷かへ されて、抽賞ちうしやう
こそあるべきに、結句けつく 、流罪るざい
の科とが 、すべて心得がたし。この人々思おぼ
召め し仕つか
はれば、信頼卿のぶよりきやう
同心の振舞ふるま ひ、天聴てんちやう
にや達たつ せんずらんと恐怖きようふ
して、新大納言しんだいなごん
経宗つねむね 、別当惟方べつたうこれかた
が申し勧すす めたるを、天下てんが
の擾乱ぜうらん に紛まぎ
れて、君きみ も臣しん
も思おぼし召め
し誤あやま りてけり」 とぞ申しあへりける。
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少納言入道信西の子供、僧續十二人は遠流の処罰を受けた。
「主君のために命を捨てた忠臣の子供なのだから、信頼や義朝に流罪されても、これら朝敵が滅びた時は、都に呼び戻され、格別の賞があって当然なのに、結局、流罪にされるなど、すべて納得しがたい。この人々を召し使えば、信頼卿に同心の振舞も、天皇のお耳に入らないだろうと考えて、新大納言経宗と別当惟方が勧めてしたことなのに、天下の騒動に紛れて、君も臣下の者も誤解している」
と評判しあった。 |
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この人々は、内外ないげ
の智ち 、人に勝すぐ
れ、和漢の才さい 、身に余あま
りたりしかば、配所はいしよ へ赴おもむ
くその日までも、ここかしこの宿所に寄りあひて、詩を作り、歌を詠よ
みて、互ひに名残なごり をぞ惜を
しみける。既に国々へ分かるる時も、消息せうそく
に思ふ心を述べて、行くをぞ送りける。西海さいかいく
に赴く人は皆みなく 、八重やへ
の潮路しほぢ を分け行き、東国へ下くだ
る輩ともがら は、万里ばんり
の山川さんせん を隔へだ
てたり。関せき を越え、宿やど
りは変はれども、さらに慰なぐさ
まず。日を重かさ ね、月を送れども、涙は尽きせざりけり。 |
この信西の子供等は、内典が外典の知識は人より勝れており、和歌漢詩の才能も大変素晴らしかったので、配所へ出かけるその日まで、あちこちの宿所に寄り合っては、詩を作ったり、和歌を詠んだりして、お互い名残を惜しんだ。いよいよ諸国に分かれて赴く時も、手紙に相手のことを思いやる心を書いて、その出発を見送った。西海に赴く人は皆、海上はるか八重の潮路分けて進み、東国に赴く人もまた、遥か遠く山川を隔てることになった。関を越え、宿も日々変るものの、いっこうに心安まらない。日月たっても、涙は常に流れてやまないことだった。
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中にも、播磨中将はりまのちゆうじやう成憲しげのり
の、老いたる母、幼いとけ なき子を振り捨てて、遼遠れうゑん
たる境さかひ に趣きける心の中うち
、言ふはかりなし。せめて都の名残なごり
惜を しさに、所々ところどころ
に休やす らひて、行きも遣や
りたまはず。粟田口あはたぐち
に馬を留とど めて、 |
『陸奥みちのく
の 草の青葉あおば に 駒こま
止めて なほ故郷ふるさと を 返かへ
り見るかな』 |
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なかでも、播磨中将成憲が、老いた母や幼い子を残して、遥か遠くの国に赴くその心中、どんなだったであろうか。せめての都の名残を惜しんで、あちこちでひと休みして、なかなか出発しようとなさらない。粟田口で馬を留めて、 | 『陸奥の草の青葉を賞でて馬をやすめ、かなわぬながら都の方をかえりみることだろうよ』 |
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『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館 ヨ
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