さても、左馬頭
義朝よしとも が末子ばつし
ども、三人あり。九条院の雑仕ざふし
常葉ときは がなり。兄あに
は今若いまわか とて七歳、中なか
は乙若おとわか とて五歳、末すゑ
は牛若うしわか とて、今年生まれたる子なり。義朝、これらが事を心苦しく思ひ置きて、童わらは
金王丸こんわうまる を途より返して、
「合戦に打ち負け、いづちともなく落ち行けども、子供に心留とど
まりて、行末ゆくすゑ も思おぼ
えず。いかなる国、里にも、心安こころやす
き事あらば、向むか へ取るべきなり。その程は、深き山里にも身を隠し、音信おとづれ
を待ちたまへ」 と申したりければ、常葉、聞き
きも敢あ へず、引き被かづ
き、臥ふ し沈しづ
めり。子供は、声々に、 「父はいづくにましますぞ」 「頭殿かうのとの
はいかに」 と泣き悲しみけり。常葉、泣な
く泣な く起お
き上がりて、 「頭殿は何方いづかた
へとか仰おほ せられつる」 と問ひければ、
「相伝さうでん 譜代ふだい
の御家人ごけにん どもを御尋たづ
ね候ひて、 『東国へ』 と仰せ候ひつる。片時へんし
もおぼつかなき御事にて候へば、暇いとま
申して」 とて、 出い でんとしけるを、今若、金王こんわう
が袖に取り付きて、 「我は既に七つになる。親の敵かたき
討う つべき年の程にあらずや。己おの
れが馬の尻しり に乗せて、父のまします所まで具ぐ
して行ゆけ け。とても、遁のが
れじ。平氏へいじ の郎等らうどう
が手に懸からんよりは、己が手にこそ懸からめ。いかにもなして行ゆ
け」 と泣きければ、金王丸、目も当てられず、押し放はな
たん事も悲しく思おぼえて、 「頭殿は、東山ひがしやま
なるところに忍びてわたらせたまえば、夜に入りて、御迎むか
ひに参まい り候はんずるぞ。この袖放たせたまへ」
と賺すか せば、 「さては」
とて、手を放たせたまひ、涙をこぼしながら、嬉うれ
しげなる顔かお に見えけるこそ無慚むざん
なれ。金王丸、暇いとま を乞こ
ひて出い でしかば、 「頭殿の行末ゆくすゑ
を問へば、己れが名残なごり さへ惜を
しきぞや」 とて、泣き悲しむこそ哀あは
れなれ。 |
さて、左馬頭義朝の子のなかに、末子で幼いのが三人いる。九条の雑仕常葉との間の子である。兄は今若といい七歳、中は乙若といい五歳、末の子は牛若といい、今年生まれた子である。義朝はこれらのことが気がかりで、童金王丸を道中から遣わして、
「合戦に負け、どことあてもなく逃げのびているが、 子供が気がかりで不安でならない。どんな国、里でも安心できることになったら迎えとるつもりだ。それまで、山里深くに身を隠し、迎えを待っているように」
と伝えたところ、常葉はこれを聞くや、衣類をすっぽりかぶり、横になってしまった。子供は声々に、 「父はどこにいらっしゃるの」 、 「頭殿はどうなさったの」 と泣き悲しんだ。常葉は泣く泣く起き上がって、金王丸に、
「頭殿はどちらへ行くとおっしゃっていたの」 と尋ねたところ、 「相伝譜代の御家人たちをあてにして、 『東国へ』 とおっしゃっていました。ほんの僅かの間でも気がかりですので、これで」
と出発しようとしたところ、今若が金王の袖をつかまえて、 「自分はもう七つになる。親の敵を討つにいい年ではないか。お前の馬の尻に乗せて、父のいらっしゃる所まで連れて行け。ここに居たところで、遁れることはできまい。平氏の郎等の手で殺されるより、お前の手で殺されたい。どうにかして連れて行け」
と泣いたので、金王丸も居たたまれず、突き放すことも悲しく思い、 「頭殿は東山の辺に隠れていらっしゃるので、夜になったらお迎えに参りましょう。この袖をお放しください」
とだましなだめたところ、 「それなら」 と手を放し、涙をこぼしながらも嬉しそうな顔に見えたのはふびんなことである。金王丸は別れを告げて出ようとしたところ、常葉は、
「頭殿の消息を教えてくれたとあれば、お前のことも名残惜しいよ」 と言い、泣き悲しむのもあわれである。 |
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『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館 ヨ
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