衛門督
信頼卿のぶよりきやう は、北山きたやま
の麓ふもと に着きて、西の方かた
へぞ落お ち行きけるが、鬨とき
の声こゑ に心地を損そん
じ、くたびれ果は てて、散々さんざん
の事どもなり。式部大夫しきぶのたいぶ
資能しけよし 、ある谷川の端はた
に下ろし据す ゑ、干飯ほしひ
水に濡ぬ らして勧すす
めけれども、胸むね 塞ふさ
がりて、少しも飲み入れざりけり。また、馬の舁か
に乗の せて、助け行く。頃ころ
は十二月二十七日の夜なりければ、雪降ふ
り積つ みて、谷も峯みね
も知らぬ道を、馬に任まか せて行く程に、蓮台野れんだいの
へぞ 出い でたりける。死人葬送さうそう
して帰かへ りける法師ばら、男おとこ
少々せうせう 交まじ
はりたるが、十四、五人、竹矢籠たかしこ
負お ひて、弓ゆみ
持も ちたるもあり、長刀なぎなた
の鞘さや 外はづ
したるもあり。松明たいまつ 点とも
して行き合ひたり。この人々を見て、 「落人おちうど
あり。打う ち伏ふ
せて、搦から め捕と
りて、六波羅ろくはら へ進まゐ
らせよや」 とぞひしめきける。 |
衛門督信頼卿は北山の麓にたどり着き、西の方へ向かったが、鬨の声を聞きつけるにつけては怯え、くたびれ果てて、みじめな思いでいた。式部大夫資能は、信頼卿を馬から下ろして谷川の端に座らせ、干飯を水に濡らして差し上げたが、信頼は気分がすぐれず、少しも食べようとしない。また馬にかかえ上げて乗せ、はげましながら行く。頃は十二月二十七日の夜のことで、雪は降り積もり、谷とも峰とも見分けの着かない道を、馬の歩くに任せていたところ、蓮台野へ出た。死人を葬送しての帰りの法師たち、在俗の男も少々交じっていたが、十四、五人、矢筒を背負い、弓を持つ者もいる。それ等が松明を燃やして来るのに出合ってしまった。信頼等を見とがめて、
「落人だ。引きずり落として、搦め取り、六波羅へ届けよう」 など大騒ぎである。 |
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式部大夫資能、
「我われ らは大将軍だいしやうぐん
にもあらず、数ならぬ雑兵ざふひやう
なり。討う ち留とど
めさせたまひ候ふとも、益えき
あらじ。その上、亡者まうじや
葬送の僧俗そうぞく と見奉たてまく
る。殺害せつがい したまはば、亡霊ぼうれい
の罪業ざいごふ ともなりぬべし。物具ものぐ
をば召め されよ。命をば助たす
けたまへ」 と言ひて、上うへ
より下した まで脱ぬ
ぎ取と らせければ、この法師ばら、美麗びれい
なる物具もののぐ 飽あ
くまで取りて、帰りけり。信頼卿は、今朝けさ
まで由々ゆゆ しげに見えし、赤地あかぢ
の錦にしき の直垂ひたたれ
、練貫ねりぬき の小袖こそで
着たりしを二ふた つ、精好せいがう
の大口おほぐち まで剥は
ぎ取られて、大白衣おほびやくえ
にぞなりにけり。式部太夫資能、 「さこそは果報くわほう
尽つ き果は
てさせたまはめ。かかる事や、ある」 と口説くど
きければ、衛門督ゑもんのかみ
、「よしや、さな思ひそ。事の悪あ
しき時は、皆、さのみこそあれ」 と慰めけるこそはかなけれ。 |
式部大夫資能は弁明して、
「我らは大将などではない。取るに足りないただの雑兵よ。討ち取ったところで何の益もあるまい。その上、亡き人を葬送の僧俗とお見受けする。ここで殺害などしたら、亡霊の罪ともなろう。武具を受け取り、代わりに、命ばかりはお助けを」
と言い、上から下まで身につけているものを脱いで与えたところ、この法師どもはきれいな武具等を全部取り上げ帰って行った。信頼卿は、今朝まであれほど立派に見えた赤地の錦の直垂、練貫の小袖を着ていたのを二つ、美しい大口袴まで剥ぎ取られて、大白衣だけになった。式部大夫資能は、
「何とも果報は尽き果てなさった。こんなことがあっていいものか」 と愚痴をこぼすが、衛門督は、 「よいよい、もう愚痴をこぼすな。運の悪い時は、皆、こんなものよ」
と慰めるが何ともむなしい。 |
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『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館 ヨ
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