〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-W』 〜 〜
平 治 物 語 (中)

2012/08/30 (木) 義 朝 敗 北 の 事 (五)

ここに、義朝の伯父をぢ陸奥みちのくの 六郎義高よしたか は、相模もがみ毛利もり知行ちぎやう せしかば、毛利冠者もりのくわじや とも申しけり、この人、馬つか れて、少しさが りたるけるを、法師ばらが中に取り め、散々さんざん に射ける程に、義高、太刀打ち振りて、しば し戦ひけれども、山陰やまかげ の難所なれば、馬の もなし、内甲うちかぶと させて、心地乱れければ、 り立ちて、木の根に寄り懸かり、息吐いきつ たり。山徒中さんどちゆう に、長七尺ばかりなる法師の、黒皮縅きろかはおどし大腹巻おほはらまき 、同じそで 付けたるに、左右さう小手こて して、長刀なぎなた 持ちたるが、義高を たんとて寄りあひたるを、上総かづさの 八郎、 つて返し、馬より り、くだん の法師と打ち合ひたり。すけ 八郎が下人、左馬頭に追い着き、 「毛利殿、甚手いたで はせたまひて候ふを、てき に御首取らせじとて、すけ 八郎殿、返し合はせられ候ひつるが、それも今は討たれやし候ひつらむ」 と げたりければ、左馬頭、聞きも へず、取って返して、をめ いて駆く。平山武者所ひらやまのむしやどころ長井斉藤別当ながゐさいとうべつたうも返しけり。左馬頭、矢とつて打ちつが ひ、 「にくやつ ばらかな。一人いちにんあま すまじきものを」 と、大音声だいおんじやう げてののし りければ、山僧等さんそうら方々ほうぼう へ逃げ散りけり。中にも、毛利冠者もりのくわじや を討たんと寄り来たりつる法師、山へ逃げのぼ りけるを、義朝 きて放つ矢に、 の法師が腹巻の押付おしつけいた をつと射抜いぬ き、さま に、胸板むないた のはづれへ、矢先やさき 五、六寸ばかり でたりけり。俯様うつぶさま に、がはとまろ びて、 せにけり。

このうち、義朝の伯父、陸奥六郎義高は相模の毛利うぃ知行していたので毛利冠者とも言うが、この人、馬が疲れて少し一行から遅れたところを、法師等が取り囲んで、散々に矢を射かけた。そこで、義高は太刀を振ってしばし戦ったが、山裾の難所で、馬を駆けさせるような所もない。甲の内を射当てられて気分が悪くなったので、馬から下りて木の根に寄りかかってひと休みしていた。比叡山の大衆の中に、長七尺ほどの法師で、黒皮縅の大腹巻に、同じ毛の袖を付けたのに左右の小手を通して、長刀を持つ者が、義高を討とうと近寄って来たところを、上総八郎が引き返して来て、馬から下りて、その法師と刀の打合いとなった。介八郎の下人が左馬頭に追い着き、 「毛利殿が重傷を負い、敵にその首を取らせてはならじと、介八郎殿が引き返しなさったが、それも今はもう討たれなさったかも知れません」 と告げたので、左馬頭は聞くやいなた、引き返して、わめきながら駆ける。平山武者所や長井斉藤別当も引き返した。左馬頭は矢を取り出して番え、 「憎い奴めが。一人残らず射殺してやるぞ」 と大音声をあげて脅したので、たまらず、山僧等は方々へ逃げ散った。なかでも、毛利冠者を討とうと近付いて来た法師が山へ逃げのぼろうとしてところを、義朝が強く引いて放った矢は、その法師の腹巻の押付の板をつっと射抜き、上方胸板のはずれから矢先が五、六寸ほども抜け出ていた。うっぷしざまにがばと倒れて、そのまま死んだ。

『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館  ヨ リ
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