義朝は、相
従ふ兵つはもの ども、方々ほうぼう
へ落ち行きければ、小勢こぜい
になりて、叡山西坂本えいざんにしさかもとを過ぎて、大原おおはら
の方かた へぞ落ち行きける。八瀬やせ
といふ所を過ぎんとするところに、西塔法師さいやふほふし
百四、五十人、道を切り塞ふさ
ぎ、逆茂木さかもぎ を引きて、待ち懸けたり。この所は、一方いつぽう
は崖きし 高う聳そび
えたり。一方は川の流れり漲みなぎ
り落ちたり。 「後うしろ ろより、敵てき
、定さだ めて攻せ
め来き たるらん。前には、山の大衆だいしゆ
支ささ へたり。いかがせん」
と言ふところに、長井斉藤別当実盛、防ふせ
ぎ矢射て、追ひ着つ きたり。
「ここをば、実盛が通し進まゐ
らせ候はん」 とて、真先まつさき
に進すす みて、甲かぶと
を脱ぬ いで肘ひぢ
に懸け、弓脇わき に挟はさ
み、膝ひざ を屈かが
めて、 「これは、言ふ効かひ
なき下人げにん ・冠者くわじや
ばら、恥はぢ も顧かへり
みず。命を惜しみ、国々へ逃げ下くだ
る者どもにて候ふ。たとひ首くび
を召め されて候ふとも、罪つみ
作らせたまひたるばかりにて、勲功くんこう
の賞にあづからせたまふ程の事はよも候はじ。適々たまたま
僧徒そうと の御身にてわたらせたまひ候へば、しかるべき人なりとも、御助けこそ候はんずれ。かかる下臈げらふ
の果はて を討う
ち止とど めたまひては、何の御用候ふべき。物具もののぐ
進まゐ らせて候はば、命をば御助け候へかし」
と申しければ、大衆だいしゆ ども、
「さらば、物具もののぐ 抛な
げよ」 と言ひければ、持ちたる甲かぶと
を、大衆の中へぞ抛な げたりける。 |
義朝は、つき従っていた兵どもが、あちこちばらばらに逃げて行ってしまったので、小勢になり、叡山西坂本を通って、大原の方に逃げた。八瀬という所を通りすぎようとしたところ、西塔法師百四、五十人もが、道路を切り塞いだり、逆茂木をしかけて待ち構えていた。あいにく、この場所は、一方は崖が高く聳えており、今一方は川の水かさが豊に流れている。
「後ろから敵が攻めて来るのは必定、前方には比叡山の大衆が待ち構えている。どうしたものだろう」 と不安がっていたところに、長井斉藤別当実盛が防ぎ矢を射ながら追い着いた。実盛は、
「ここは私がうまく謀って、皆をお通し出来るようにしよう」 と言い、軍勢の最前に出て、甲を脱いで肘に懸け、弓を脇に挟み、膝をかがめて、 「ここに居る者は、皆取るに足りない下人や冠者ばらだけ。恥ずかしいと思うこともなく、ただ命助かりたいばかりに、国々へ逃げ下ろうとする者どもよ。たとい討ち取って首を取ったところで、罪作りな話、勲功の賞を受けるなどあるはずがない。お見受けしたところ、皆々、偶然にも僧徒の身でいらっしゃる。せめてしかるべき人なりともお助けいただきたい。このような下臈風情の者を討ち取ったところで、何になろうというもの。武具を差し出すので、命ばかりはお助けいただきたい」
と申し入れたところ、大衆達もこの言い分を受け入れ、 「それでは武具を捨てよ」 と言うので、実盛は、手に持っていた甲を大衆の中に放り投げた。 |
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下部しもべ
、法師ばら、 「我われ 取らん」
とひしめきける程ほど に、ある法師の打ち払はら
ひて立ちたりけるを、斉藤別当、つと馳は
せ寄よ りて、甲かぶと
ひん奪ば い、馬に打ち乗りて、太刀を抜き、
「さりとも、わ法師ほふし ばらも、伝へては聞きこそしつらめ。日本一の剛かう
の者、長井斉藤別当実盛とは我が事ぞ。我われ
と思はむ者は寄り合へや。勝負せん」 とて、一鞭ひとぶち
打ちて、つと通る。義朝以下いげ
。兵つはもの ども、一騎も残らず、皆みな
通りぬ。徒立かちだち の大衆だいしゆ
、法師ばら、馬に当てられて、あるいは河に落ち入り、あるいは谷に転ころ
び入り、散々さんざん の事どもなり。
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下部や法師達は、
「自分が取る」 とばかり、ひしめきあっているなかで、ある法師が甲を拾いあげて立ち上がったのを見て、斉藤別当はさっと近寄り、甲を取り戻し、馬に乗って、太刀を抜き、
「ところで、お前達法師どもも評判には聞いていよう。日本一の剛勇の武士、長井斉藤別当実盛とは我がことよ。勇気ある者がいるならかかって来い。勝負するぞ」 と言い放って、馬に一鞭あててさっと通り抜けた。義朝以下の兵どもも、全員そこを通りぬけることが出来た。かわいそうなのはだまされた大衆や法師ども、通り抜ける馬に跳ね飛ばされ、河に落ちる者、谷に転び入る者とそれはもうみじめなことであった |
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『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館 ヨ
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