その中に、山内首藤刑部は、嫡子
滝口たきぐち が討う
たれたる所なれば、亡な き跡までもなつかしう思おぼゆ。
「討死せん」 と思おも ひ定さだ
め、大勢おほぜい の中へ駆け入り、敵かたき
三騎き 斬き
りて落とし、後は、よき敵かたき
と引つ組み、取と つて押へて首を取り、立て直らんとしけるを、敵かたき
、隙すき をあせらず取り込めて、首藤刑部丞を討ちにける。かかるところに、片切小八郎大夫景重、これを見て、景部丞は討たれける大勢の中へ駆け入り、よき敵一騎斬つて落し、その後、面おもて
も振らず戦ひける。運うん の極きは
めにやありけん、太刀二つに折れければ、刀を抜ぬ
き、錣しごろ を傾かたぶ
け、つつと寄よ り、よき敵と差さ
し違ちが へてぞ死ににける。この者ども、防き戦ひ、討死うちじ
にしけるに、義朝は延の び行きけるこそあはれなれ。 |
なかで、山内首藤刑部は、嫡子滝口が討死したことで、息子のことが偲ばれてならない。そこで
「自分も討死しよう」 と固く決心して、敵の大軍の中へ駆け込み、たちまちのうちに敵三騎を斬り落し、後は、よき敵と取っ組み合いになり、取り押さえて首を取り、態勢を整えようとしたところを、敵がすかさず組み付き、首藤刑部丞を討ち取った。この様子を片切小八郎大夫景重が見付けて、刑部丞が討たれた敵の大軍の中に駆け入り、よき敵一騎を斬り落し、その後も勇敢に戦った。しかし、運が尽きたのであろう。太刀が二つに折れたので、刀を抜き、錣を傾けて、よき敵にさっと近寄り、差し違えて討死した。これ等味方の者が敵軍を一手に引き受け討死した間に義朝は逃げ延びることが出来たということだ。 |
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合戦、既に過ぎければ、信頼卿の宿所、義朝の六条堀川の館たち
、李実すゑざね の大炊御門堀川おほひみかどほりかは
の家、以上五箇所に火を懸けたり。折節おりふし
、風烈はげ しく吹き、科とが
なき民たみ の家、数す
千家焼けければ、余煙よえん 、京中に充ち満ちてけり。彼か
の咸陽宮かんやうきゆう の煙雲えんうん
と上のぼ りしを伝へ聞いては、外国ぐわいこく
の昔なれども、道理ことわり を知る輩ともがら
は歎なげ くぞかし。いかに況いは
や、この平安城へいあんじやう
の灰燼くわいじん となるを見ては、心あらん人、誰たれ
か国の衰微すいび を悲しまざらん。 |
合戦が終わったところで、信頼卿の宿所、義朝の六条堀川の館、李実の大炊御門堀川の家など以上五ヶ所に火を懸けた。折りしも風が烈しく吹き、何の科もないはずの民家まで数千軒焼けたので、その余煙は京中に充満した。あの咸陽宮が焼け滅んだと伝え聞いては、外国のこと、はるか昔のこととはいえ、道理を知る者は歎いたことだ。まして、この平安城が焼け滅んだのを見て、人は皆、国の衰微するのを悲しんだ。 |
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『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館 ヨ
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