六波羅の官軍どもは、
「我等が大内裏から退却した無念さは、ただ今思い知ったことだろう。お前たちは、どうして引き返さぬぞ」 と大声あげて追撃したけれども、郎等どもは義朝の馬に取り付いて手を放さないので、左馬頭も引き返すこともならず、楊梅通りの方向を西へ、そこから京極通りを北へ退却した。平家の郎等どもは、勝ち戦ということで、
「どこまで逃げるつもりか」 とばかり追い駆けて来て、散々に矢を射かける。義朝の軍勢の中から、紺地の錦の直垂に萌黄匂いの鎧、薄紅の母衣を懸けて、白鴾毛の馬に乗った武者が一騎、引き返して来て名乗って言うには、
「さあ、評判で聞いたことがあろう、信濃国の住人平賀四郎源義信、生年十七歳。我こそ相手をと思う者がいるなら、かかって来い。ひと勝負するぞ」 と、散々に戦う。これを見て、義朝の軍勢の中から、
「同国の住人片切小八郎大夫景重」 と名乗って戻って来る者がいる。あるいは、 「相模国の住人山内首藤刑部俊通」 と名乗って戻って来る者、また、 「武蔵国の住人長井斉藤別当実盛」
と名乗って引き返して来る者がいる。これ等の命惜しまぬ勇敢な戦いの間に、義朝は遠く逃げ延びた。 |