〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-W』 〜 〜
平 治 物 語 (中)

2012/08/30 (木) 義 朝 敗 北 の 事 (一)

六波羅ろくはら官軍くわんぐん ども、 「我等われら大内おほうち より退しりぞ きし心は、只いま 思ひ知れ。など返し合はせぬぞ」 とののし けれども、郎等らうどう ども、手を放たねば、左馬頭さまのかみ くるにおよ ばず、楊梅やまもも を西へ、京極きやうごくのぼ りに落ち行く。平家の朗等ども、かつ り、 「いづくまで」 と つ駆けて、散々さんざん に矢を射懸けたり。義朝よしともせい の中より、紺地こんぢにしき直垂ひたたれ に、萌黄匂もえぎにほひよろい薄紅うすくれなひ母衣ほろ 懸けて、白鴾毛しらつきげ なる馬に乗りたる武者むしや 一騎、取つて返して名乗なの りけるは、 「さりとも、おと に聞きこそしつらめ。信濃国しなののくに の住人平賀ひらがの 四郎みなもとの 義信よしのぶ生年しやうねん 十七歳。われ と思はむ者あらば、 へ。一勝負ひとしようぶ せん」 とて、散々さんざん に戦ふ。これを見て、 「同国どうこく の住人片切小八郎大夫かたぎりのこはちらうだいぶ景重かげしげ 」 と名乗りて、取りて返す。 「相模さがみの 国の住人山内首藤刑部やまのうちのすどうぎやうぶ俊通としみち 」 と名乗りて、返し合はす。 「武蔵むさしの 国の住人長井斉藤別当ながゐのさいとうべつたう実盛さねもり 」 と名乗つて返す。これ身命しんみやう しまず戦ひけるにぞ、義朝、はる かに びにける。

六波羅の官軍どもは、 「我等が大内裏から退却した無念さは、ただ今思い知ったことだろう。お前たちは、どうして引き返さぬぞ」 と大声あげて追撃したけれども、郎等どもは義朝の馬に取り付いて手を放さないので、左馬頭も引き返すこともならず、楊梅通りの方向を西へ、そこから京極通りを北へ退却した。平家の郎等どもは、勝ち戦ということで、 「どこまで逃げるつもりか」 とばかり追い駆けて来て、散々に矢を射かける。義朝の軍勢の中から、紺地の錦の直垂に萌黄匂いの鎧、薄紅の母衣を懸けて、白鴾毛の馬に乗った武者が一騎、引き返して来て名乗って言うには、 「さあ、評判で聞いたことがあろう、信濃国の住人平賀四郎源義信、生年十七歳。我こそ相手をと思う者がいるなら、かかって来い。ひと勝負するぞ」 と、散々に戦う。これを見て、義朝の軍勢の中から、 「同国の住人片切小八郎大夫景重」 と名乗って戻って来る者がいる。あるいは、 「相模国の住人山内首藤刑部俊通」 と名乗って戻って来る者、また、 「武蔵国の住人長井斉藤別当実盛」 と名乗って引き返して来る者がいる。これ等の命惜しまぬ勇敢な戦いの間に、義朝は遠く逃げ延びた。

『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館  ヨ リ
Next