左衛門佐重盛も、源兵庫頭に気付き、
「兵庫頭は新参だな。さあ馬を駆け出せ、進めよ」 と言葉をかけたものだから、言葉をかけられた兵庫頭の軍勢三百余騎は、河原を西の方に駆け出た。左馬頭は、兵庫頭に追われて河を馳せ渡り、西の河原に退却した。しばらく馬を休息させた後、
「これが最後の戦いよ。若党ども、僅かなりとも引き退くことはならぬ」 と言いわたし、軍勢轡を並べて、口々に喚きながら追いまわしたので、今度は、兵庫頭の軍勢三百余騎が河原の東に退却した。源平両陣営、川をはさんでしばし睨み合いということになった。義朝が川向こうに、
「どうした、兵庫頭よ、源兵庫頭と呼ばれながら、腑甲斐無くも、どうして伊勢平氏の側に付くのか。そなたが心変わりして、源氏を裏切るものだから、源氏の武名に傷が付いてしまったのは残念至極」
と大声で呼びかけたところ、兵庫頭は、 「先祖伝来の武芸を守ろうとして、天皇に従ったまで、裏切りとは言わせないぞ。そなたが日本一の不覚人信頼に同心する事の方が、源氏の恥よ」
と言い返した。義朝はこの道理に思い当たることがあったのであろうか、再び兵庫頭に呼びかけることはなかった。 |