悪源太、一
当あ て当あ
てたるばかりにて、実まこと の敵てき
にあらざれば、左馬頭が控へたる六条河原へ向きて歩ませ行くに、兵庫頭が郎等らうどう
七、八騎、追っ懸けて、散々に射ける程に、悪源太が郎等、山内首藤刑部やまのうちすどうぎやうぶが子息滝口たきぐち
俊綱としつな 、立ち留とど
まり、戦ひけり。下総国しもふさのくに
の住人ぢゆうにん 河辺かはべの
三郎庄司行泰しやうじゆきやす
が射ける矢に、滝口が頸くび の骨を射させて、心地ここち
乱れけれども、さる兵つはもの
にて。矢をば抜ぬ き捨す
て、鞍くら の前輪まえわ
にすがり、甲かぶと の真向まつかう
を馬の平首ひたくび に持たせ、息いき
吐つ きゐたり。悪源太、これを見て、
「滝口は大事の手負てお ひぬと
思おぼ ゆ。敵てき
に討う たすな。首をば御方みかた
へ取れや」 と下知げち しければ、鎌田かまだ
、下人を呼びて、「滝口が首、敵てき
に取らぬるな。汝なんぢ 行きて、甚手いたで
か薄手うすで か見よ」 と申しければ、彼か
の下人、長刀なぎなた 持ちたりけるが、走り寄る。
|
悪源太は、ちっと挑みかかったぐらいで、真の敵でもないので、左馬頭が控えている六条河原に向かったところ、兵庫頭の郎等七、八騎が追いかけて来て、さんざんに矢を射かけるので、悪源太の朗等山内首藤刑部の子息滝口俊綱が立ち寄り、戦いの相手をした。下総国の住人河辺三郎庄司阿行泰の射た矢に、滝口は頸の骨を射当てられ、一瞬気を失ったものの、そこは剛勇の武士、矢を抜き捨て、わが身は鞍の前輪にすがり付いて、甲の真向を馬のたてがみの下のあたりにもたれかけ、一息ついていた。悪源太はこれを見付けて、
「滝口は重傷を負ったようだ。敵に討たせてはならない。首はこちらで取って来い」 と命じたので、鎌田は下人を呼び寄せ、 「滝口の首を敵に取られるな。お前が傍まで行って、重傷か軽傷か確認して来い」
と申し渡したので、その下人は長刀を持ったまま走り寄った。 |
|
滝口、目を見合はせて、
「いかに、おのれは、御方みかた
ござんめれ」 。 「さん候ざふら
ふ。鎌田殿の下人にて候ふが、鎌倉かまくら
の御曹司おんざうし の御定ぢやう
にて、大事の手ならば人手に懸け奉たてまつ
るな、御首くび を賜たま
はれ、と仰おほ せ候ふにより候ひて、是非ぜひ
を見進まゐ らせんが為ため
に参りて候ふ」 と申せば、滝口、 「甚手いたで
の段、子細なし。弓箭ゆみや 取る侍さぶらひ
は、よき大将だいしやう に召め
し仕つか ふべかりけるぞや。屍かばね
をだにも労いたは り 思おぼ
し召め し、 『人手に懸くな』
との仰せこそかたじけなけれ」 とて、涙を流しけるが、 「はやはや斬き
れ」 とて、毀こぼ れ落ちてぞ斬られける。 |
滝口は下人と目を合わせて、
「どうした、お前は御方なのだろう」 と声をかける。 「確かに、鎌田殿の下人だが、鎌倉の御曹司の御命令で、重傷のようなら敵方に討たせてはならない、お前が首をいただいて来いとの御命令を受け、負傷の様子を確認しに参った」
と答えたところ、滝口が言うには、 「重傷であるに間違いはない。弓箭取る武士たる者は、良い大将に仕えなければならないとはこのことよ。死骸をさえ御心にかけていただき、
『敵方に討たせてはならない』 との御言葉はもったいないことよ」 と涙ながらに語りかけ、 「早く、はやく、斬れ」 と言いかけ、馬から崩れ落ちて斬られた。 |
|
父刑部少掾ぎやうぶせうじよう
、「弓箭ゆみや 取と
る慣な らひ、合戦かつせん
の庭にわ に 出い
でて命を捨つる事は、人毎ひとごと
に思ひ設まう けたる事なれども、我こそ先に討死うちじ
にして、子孫に弓箭の面目めんぼく
を譲ゆづ らんと思ふに、末頼すえたの
もしき滝口を討たせて、惜を しからぬ老いの命、何なに
かはせん。諸共もろとも に死出しで
の山をも越えん」 と、身命しんみやう
を捨てて馳は せ廻まは
れども、命は限りあるものなれば、剣つるぎ
の先さき にも懸からず、矢をのがるるをぞ歎なげ
きける。 左馬頭義朝は、悪源太が小勢こぜい
にして戦ふ無慚むざん さに、五条ごでう
河原がはら へ向きてぞ駆けたりける。兵庫頭が三百余騎、六波羅に付つ
きにけり。 |
父の刑部少掾は、
「武士たる者の慣い、合戦で戦死するとは誰でも皆覚悟している筈のことであるが、親である自分が真っ先に討死して、子孫に武士たる者の名誉を伝えたいものと考えていたのに、若く将来ある息子の滝口を先立たせて、老い先短いわが命、今はもうどうなろうともかまわない。息子と一緒に死出の山を越えようと思う」
と、命惜しまず馳せ廻ったが、人の命は定まった運命のもとにあるらしく、あいにく敵方に斬りかけられることもなく、また矢に当たることもなく無事なのを、かえって歎いていた。 左馬頭義朝は、悪源太が小勢で戦っているのを気遣って、五条河原に向かって馬を駆けさせた。兵庫頭の軍勢三百余騎は、六波羅の陣営に加わった。
|
|
『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館 ヨ
リ |