左馬頭
義朝よしとも は、六条ろくでう
河原がはら へ押お
し寄よ せて見ければ、六波羅ろくはら
には、五条の橋毀こぼ ち寄よ
せ、掻楯かいだて 掻か
いて待ち設まう けたり。掻楯の外そと
にも内うち にも、兵つはもの
ども充み ち満み
ちたり。道々みちみち 関々せきぜきへも人を差し向けて、
「六波羅、皇居になりたり。御方みかた
へ参さん ぜざらん者は朝敵たるべし。後悔すな」
と仰おほ せられしかば、大勢おほぜい
も小勢こぜい も、うち連れうち連れ、六波羅へのみ参まゐ
りけり。 |
左馬頭義朝は六条河原に押し寄せて見わたしたところ、六波羅では五条の橋をこわして、そのあたり楯を並べて敵の襲来に備えていた。道路や関所にも兵士を派遣して、
「六波羅は皇居になった。こちらに参上しない者は朝敵ということだ。後悔するな」 と言わせたので、軍勢の多いのも少ないのも、それぞれ連れ立って、六波羅に皆参上した。 |
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衛門督えもんのかみ
信頼のぶより は、怖お
づ怖お づ六条河原口ぐち
まで打ち出い でたりけるが、これを見て、
「あの大勢に押し包まれては、かひなき命も助かりがたし。何方いづかた
へも落ち行かばや」 と思ひければ、楊梅やまもも
を西へ、京極を上のぼ りに、落ち行きけり。左馬頭さまのかみ
が童わらは 金王丸こんわうまる
、これを見て、 「あれ御覧ごらん
候へ、衛門督殿こそ落ちられ候へ」 と申せば、義朝、 「よしや、目な懸か
けそ。あればとて、用よう にもたつべくはこそ。中々足手あしで
に纏まと ひてむつかしきに」
とぞ答へける。 |
衛門督信頼は、こわごわ六条河原口まで様子をうかがいに出かけたが、この様子を見て、
「あの大軍に囲まれたのでは、わが命も助かるまい。どこなりtも逃げ延びたいものだ」 と思い、西へ楊梅通りの方へ、東京極通りを北に、逃げ出した。左馬頭の童金王丸はこれを見て、
「あれ御覧下さい、衛門督が逃げ出されましたと」 と申したところ、義朝は、 「よいよい、かまうな居たからといって役に立つ者でもない。かえって足手まといになって迷惑なこと」
と答えた。 |
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源兵庫頭げんひやうごのかみ頼政よりまさ
は、三百騎ばかりの勢せい にて、五条河原西にし
の面つら に控ひか
へたり。悪源太あくげんた 、これを見て、
「頼政が振舞ふるまひ こそ心得ね。当家たうけ
、平家、両陣りやうじん を見はからひて、強つよ
からん方かた へ付つ
かんとするごさんめれ。義平よしひら
が前にては、さはせさすまじきものを」 とて、京極を上のぼ
りに、五条を東ひんがし へ歩あゆ
ませけるを見て、兵庫頭思ひけるは、 「出雲守いづものかみ
・伊賀守いがのかみ が六波羅へ行かば、会釈せん」
と思ふところに、悪源太、十五騎の勢に、旗一流ひとながれ
差さ させて出い
で来き たる。 「あはや」 と見るところに、悪源太、大音声だいおんじやう
揚げて、 「まさなき兵庫頭が振舞かな。源家げんけ
名を知らるる程の者の、二心ふらごころ
あるやうはある。義平が目の前をば渡わた
すまじきものを」 とて、太刀たち
打ち振り、喚をめ いて駆けけり。東西南北、十文字じふもんじ
に、散々さんざん にぞ駆けたりける。兵庫頭、三百余騎に駆け立てられて、所々ところどころ
に控へたり。 |
源兵庫頭頼政は、三百騎ほどの軍勢で、五条河原の西側に控えていた。悪源太はこれを見付けて、
「頼雅の振舞は合点がゆかぬ。源家、平家の両陣を秤に掛け、強そうな陣営の方に加わろうとするのだろう。この義平が見つけたからにはそうはさせないぞ」 とばかり。京極通りを北へ、五条通りを東へ馬を歩ませているのを見て、兵庫頭は、心中、
「出雲守や伊賀守が六波羅へ参上するのならば、我等も同調しよう」 と思っているところに、悪源太が十五騎の軍勢を率い、旗を一流れ掲げさせてやって来た。 「これはしまった」
と兵庫頭が驚くところに、悪源太は大音声あげて、 「卑怯な兵庫頭の振舞いよ。源家でそれと名を知られる程の武士に、二心あるなどとんでみない」 と言って、太刀を振りかざし、大声あげて馬を駆けさせた。東西南北、十文字と駆けまわる。兵庫頭は三百余騎に追い駆けられて、あちこち逃げまわった。 |
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『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館 ヨ
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