〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-V』 〜 〜
和 泉 式 部 日 記

2012/08/05 (日) あ き れ た 噂 ─ 絶 え よ う と す る 恋

舎人とねり わらは 来たり。樋洗童ひすましわらは 例も語らへば、ものなど言ひて、 「御文やある」 と言へば、 「さもあらず、一夜ひとよ おはしましたりしに、御かど に車のありしを御覧じて御消息せうそこ もなきにこそはあめれ。人のおはしましかよ ふやうにこそ聞こしめしげなれ」 など言ひて ぬ。

舎人とねり わらわがやって来た。樋洗童ひすましわらわは、いつも語り合っている親しい仲なので、話などして、 「宮様からの御文はあるの」 と聞くと、小舎人童は 「御文などありませんよ。この前の夜おいでになった時に、御門の所に車のさったのを御覧になって、それからお便りもなくなったのでしょう。誰かがかよっておいでのように、宮様のお耳に入っているご様子です」 などと言って、帰って行った。
「かくなむ言ふ」 と聞こえて、 「いと久しう、なによかよと聞こえさすることもなく、わざと頼みきこゆることこそなけれ、ときどきもかくおぼし出でむほどは、絶えであらむとこそ思ひつれ。ことしもこそあれ、かくけしからぬことにつけて、かくれおぼされぬる」 と思ふに、身も心憂くて、 「なぞもかく」 と歎くほどに、御文あり。宮 「日ごろは、あやしき乱りごこちのなやましさになむ。いつぞやも参り来てはべりしかど、折あしうてのみ帰れば、いと人げなきここちしてなむ。
『よしやよし 今はうらみじ 磯に出でて 漕ぎはなれ行く あまの小舟おぶね を』
とあれば、あさましきことどもを聞こしましたるに、聞こえさせむもはづかしけれど、このたびばかろとて、
『袖のうちに ただわがやくと しほたれて 舟ながしたる あまとこそなれ』
と聞こえさせつ。
樋洗童ひすましわらわ は、 「 舎人とねり わらわ がこんなことを言っていました」 と女に申し上げると、女は、 「ずっと長い間、あれこれ面倒なことを申し上げることもなく、ことさら宮様におすがり申し上げることはなかったけれど、時々でもこの間のように思い出してくださるかぎりは、二人の仲は絶えないでほしいと思っていた。それがこともあろうに、あんなとんでもないうわさ のために、あのように私のことをお疑いになってしまった」 と思うとわが身までいやになって、 「なぞもかく」 の歌のように思い乱れて嘆いていると、宮様から御文があった。 「近ごろは、わけのわからぬ病気で気分が悪かったものですから。いつかお訪ねしたのでしたが、都合の悪い時ばかりで帰りましたので、ひどく人並みの身ではない気持がしまして。
『ええままよ。もう恨んだりしますまい。あなたは磯から漕ぎ離れてゆく海人あま の舟のように、どうせ私から去ってゆくのですから』
と書いてあるので、あきれるようにひどい噂を宮はお聞きになっているのに、ご返事申し上げるのも気がひけたけれど、今度だけと思って、
『袖に涙を流すことをひたすら自分の務めとばかりしていて、まるで舟を流した海人のように、宮様に去られて寄るべがなくなりました』
と申し上げた。
『和泉式部日記』 校注・訳者;藤岡・中野・犬養・石井 発行所:小学館 ヨリ
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