小
舎人とねり 童わらは
来たり。樋洗童ひすましわらは
例も語らへば、ものなど言ひて、樋 「御文やある」 と言へば、小 「さもあらず、一夜ひとよ
おはしましたりしに、御門かど
に車のありしを御覧じて御消息せうそこ
もなきにこそはあめれ。人のおはしまし通かよ
ふやうにこそ聞こしめしげなれ」 など言ひて去い
ぬ。 |
小こ
舎人とねり 童わらわがやって来た。樋洗童ひすましわらわは、いつも語り合っている親しい仲なので、話などして、
「宮様からの御文はあるの」 と聞くと、小舎人童は 「御文などありませんよ。この前の夜おいでになった時に、御門の所に車のさったのを御覧になって、それからお便りもなくなったのでしょう。誰かがかよっておいでのように、宮様のお耳に入っているご様子です」
などと言って、帰って行った。 |
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樋 「かくなむ言ふ」
と聞こえて、 「いと久しう、なによかよと聞こえさすることもなく、わざと頼みきこゆることこそなけれ、ときどきもかくおぼし出でむほどは、絶えであらむとこそ思ひつれ。ことしもこそあれ、かくけしからぬことにつけて、かくれおぼされぬる」
と思ふに、身も心憂くて、 「なぞもかく」 と歎くほどに、御文あり。宮 「日ごろは、あやしき乱りごこちのなやましさになむ。いつぞやも参り来てはべりしかど、折あしうてのみ帰れば、いと人げなきここちしてなむ。 |
宮
『よしやよし 今はうらみじ 磯に出でて 漕ぎはなれ行く あまの小舟おぶね
を』 |
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とあれば、あさましきことどもを聞こしましたるに、聞こえさせむもはづかしけれど、このたびばかろとて、 |
女
『袖のうちに ただわがやくと しほたれて 舟ながしたる あまとこそなれ』 |
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と聞こえさせつ。 |
樋洗童ひすましわらわ
は、 「小こ 舎人とねり
童わらわ がこんなことを言っていました」
と女に申し上げると、女は、 「ずっと長い間、あれこれ面倒なことを申し上げることもなく、ことさら宮様におすがり申し上げることはなかったけれど、時々でもこの間のように思い出してくださるかぎりは、二人の仲は絶えないでほしいと思っていた。それがこともあろうに、あんなとんでもない噂うわさ
のために、あのように私のことをお疑いになってしまった」 と思うとわが身までいやになって、 「なぞもかく」 の歌のように思い乱れて嘆いていると、宮様から御文があった。
「近ごろは、わけのわからぬ病気で気分が悪かったものですから。いつかお訪ねしたのでしたが、都合の悪い時ばかりで帰りましたので、ひどく人並みの身ではない気持がしまして。 | 『ええままよ。もう恨んだりしますまい。あなたは磯から漕ぎ離れてゆく海人あま
の舟のように、どうせ私から去ってゆくのですから』 |
| と書いてあるので、あきれるようにひどい噂を宮はお聞きになっているのに、ご返事申し上げるのも気がひけたけれど、今度だけと思って、 | 『袖に涙を流すことをひたすら自分の務めとばかりしていて、まるで舟を流した海人のように、宮様に去られて寄るべがなくなりました』 |
| と申し上げた。 |
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