かくて、のちもなほ間遠
なり。月の明かき夜、うち臥して、 「うらやましくも」 などながめられるれば、宮に聞こゆ。 |
女
『月を見て 荒れたる宿に ながむとは 見に来ぬまでも たれに告げよと』 |
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樋洗童ひすましわらは
して、女 「右近うこん
の尉じよう にさし取らせて来こ
」 とてやる。御前まへ に人々して、御物語しておはしますほどなりけり。人まかでなどして、右近うこん
の尉じよう さし出でたれば、
宮 「例の車に装束さうぞく
せさせよ」 とて、おはします。 女は、まだ端に月ながめてゐたるほどに、人の入い
り来く れば、簾すだれ
うちおろしてゐたれば、例のたびごとに目馴れてもあらぬ御姿にて、御直衣なほし
などのいたうなへたるしも、をかしう見ゆ。ものものたまはで、ただ御扇に文を置きて、 宮 「御使の取らで参りにければ」
とて、さし出でさせたまへり。女、もの聞こえむにもほど遠くてびんなりければ、扇をさし出でて取りつ。 宮も上りなむとおぼしたり。前栽ぜんさい
のをかしき中に歩かせたまひて、 「人は草葉の露なれや」 などのたまふ。いとなまめかし。近う寄らせたまひて、宮 「今宵はまかりなむよ。たれに忍びつるぞと、見あらはさむとてなむ。明日は物忌ものいみ
と言ひつれば、なからむもあやしと思ひてなむ」 とて帰らせたまへば、 |
女
『こころみに 雨も降らなむ 宿すぎて 空行く月の 影やとまると』 |
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人の言うほどよりもこめきて、あはれにおぼさる。
宮 「あが君や」 とて、しばし上らせたまひて、出でさせたまふとて、 |
宮
『あぢきなく 雲居の月に さそはれて 影こそ出づれ 心やは行く』 |
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とて、帰らせたまひぬるのち、ありつる御文見れば、 |
宮
『われゆゑに 月をながむと 告げつれば まことかと見に 出でて来にけり』 |
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とぞある。
「なほいとをかしうもおはしけるかな。いかで、いとあやしきものに聞こしめしたるを、聞こしめしなほされにしがな」 と思ふ。 宮も、言ふかひなからず、つれづれの慰めにとはおぼすに、ある人々聞こゆるやう、
「このごろは、源げん 少将せうしやう
なむいますなる。昼もいますなり」 と言へば、また、 「治部ぢぶ
卿きやう もおはすなるは」 など、口々聞こゆれば、いとあはあはしうおぼされて、久しう御文もなし。 |
こうして、その後もやはり宮との仲は遠のいていた。月の明るい夜に、女は横になって、
「うらやましくもすめる月かな」 などと、物思いがちに月がながめられるので、宮に歌をさし上げた。 | 『私が月を見て荒れ果てた宿で一人淋しく物思いをしているということは、宮様以外の誰に告げたらよいのでしょう。どうせおいでにならないでしょうけれど』 |
| 樋洗童ひすましわらわ
に、「右近うこん の尉じょう
に渡しておいで」 と使いにやった。宮はお前に人々を召して、お話をしておいでのときであった。人々が退出してから右近の尉が文ふみ
をさし出すと、 「いつもどおり車の支度をさせよ」 とおっしゃって、女のもとにお出かけになった。 女は相変わらず端近はしぢか
の所で月をながめていたところ、誰かが入って来たので簾すだれ
をおろしていると、いつもながらお逢いするたびに目新しい宮のお姿があって、御直衣のうし
などが着なれて柔らかになっているのが、かえってすばらしく思われる。何もおっしゃらないで、ただ御扇に文ふみ
を置くと、 「御使いが受け取らずに帰ってしまったので」 とおっしゃってさし出しなさった。女はお話を申し上げようにも間が離れていて具合が悪いので、扇をさし出して受け取った。宮も女のそばに入ろうと思われた。前栽の美しい中をお歩きになって、
「人は草葉の露なれや」 など口ずさまれる。本当に優雅でお美しい。女のそばに近寄りなさって、 「今夜はこれで帰りましょう。あの夜の男が誰の所に忍んで来たのか、見届けようと思って来たのです。明日は物忌ものい
みということですから、家にいないのもおかしいと思いまして」 とお帰りになろうとするので、 | 『ためしに雨でも降ってみてほしい。わが家を通り過ぎて空を行く月のような宮様がおとどまりになるかどうかと』 |
| 人が噂うわさ
するよりも子供っぽい女で、いじらしいとお思いになる。 「あが君よ」 とおっしゃりながら、宮はしばらく女の部屋にお入りになって、お出になるとき、 | 『つまらなくも私は雲行く月にさそわれて邸に帰りますが、身体こそ出て行くものの、心は出て行きません』 |
| とおよみになってお詠よ
みになって、お帰りになったあと、先ほどお置きになった御文を見ると、 | 『私ゆえに月をながめていると私にお告げになったから、本当かしらと見に出て来たのです』 |
| と書いてあった。
「やはり本当にすばらしいお方でいらっしゃる。私のことをひどく素行の悪い女だとお聞きになっているのを、何とかして考え直していただきたいものだ」 と思った。 宮の方でもまた、女をつまらなくはなく、つれづれの慰めによかろうと思われるのに、ある人たちが宮に申し上げるには、
「最近は源少将げんしょうしょう
がおいでになるそうです。昼間もおいでになるとか」 と言うと、他の人が 「治部じぶ
卿きょう もいらっしゃるそうですよ」
などと口々に申し上げるので、宮は女のことがひどく軽薄に思われて、久しく御文も書かれなかった。 |
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