〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-V』 〜 〜
和 泉 式 部 日 記

2012/08/02 (木) 五 月 五 日 ─ 宮 の た め ら い

五月五日になりぬ。雨なほやまず。一日ひとひ の御返りのつねよりももの思ひたるさまなりしを、あはれとおぼし出でて、いたう降り明したるつとめて、今宵こよひ の雨の音はおどろおどろしかりつるを」 などのたまはせたれば、
『夜もすがら なにごとをかは 思いひつる 窓うつ雨の 音を聞きつつ』 
かげにゐながらあやしきまでなむ」 と聞こえさせたれば、なほ言ふかひなくはあらずかしとおぼして、御返り、
『われもさぞ 思ひやりつる 雨の音を させるつまなき 宿はいかにと』 
昼つかた、川の木まさりたりとて人々見る。宮も御覧じて、 「ただ今いかが、水見になむ きはべる。
『大水の 岸つきたるに くらぶれど 深き心は われぞまされる』 
さは知りたまへりや」 とあり。御返
『今はよも きしもせじかし 大水の 深き心は 川と見せつつ』 
かひなくなむ」 と聞こえさせたり。
五月五日になった。雨はまだやまない。
宮は、先日の女からのご返事が平素より物思いの強い様子であったのを、かわいそうに思い出されて、ひどく降り明かしたその翌朝、 「昨夜の雨の音はおそろしいほどでしたが、いかがでしたか」 などと御文をよこされたので、
『一晩中、宮様のことのほかは、何を考えたでしょう。窓を叩く雨の音をせつなく聞きながら』
家の中に居ながら、不思議なほど袖が れました」 と申し上げると、宮はやはりあの女は相手としてまんざらではないとお思いになって、ご返事を書かれた。
『私も同様に雨の音を聞きながらあなたのことを思っていました。しっかりした夫もいない宿で、一人でどうやって過ごしておいでかと』
昼ごろ賀茂川の水が増したというので、人々は見に出かけた。宮も御覧になって、 「今どうしておいでですか。私は大水の見物に行きました。
『大水は岸を浸していますが、その深さを比べてみても、私の心の方がまさっています』
そんな私の気持をご存知ですか」 と書かれた。そのご返事、
『今はまさかおいでになりますまい。深い心を大水の川でそれとお示しになられるくせに』
つまりません」 と申し上げた。
おはしまさむとおぼしめして、薫物たきもの などせさせたまふほどに、侍従じじゆう乳母めのと まうのぼりて、 乳母 「出でさせたまふはいづちぞ。このこと人に申すなるは。なにのやうごとなききはにもあらず。使はせたまはむとおぼしめさむかぎりは、召してこそ使はせたまはめ。かろがろしき御ありき は、いと見苦しきことなり。そが中にも、人々あまた来かよふ所なり。びんなきことも出でまうで なむ。すべてよくもあらぬことは、右近うこんじよう なにがしがしはじむることなり。故宮をも、これこそゐてあり きたてまつりしか。よる夜中と歩かせたまひては、よきことやはある。かかる御供にあり かむ人は、大殿おほとの にも申さむ。世の中は今日けふ 明日あす とも知らず変りぬべかめるを、殿のおぼしおきつることもあるを、世の中御覧じはつるまでは、かかる御ありき なくてこそおはしまさめ」 と聞こえたまへば、 「いづちか かむ。つれづれなれば、はかなきすさびごとするにこそあれ。ことごとしう人は言ふべきにもあらず」 とばかろのたまひて、「あやしうすげなきものにこそあれ、さるは、いと口をしうなどはあらぬものにこそあれ。呼びてやおきたらまし」 とおぼせど、さてもまして聞きにくくぞあらむ。とおぼし乱るるほどに、おぼつかなうなりぬ。
宮は女の家にお出かけになろうと思われて、薫物たきもの をさせていらっしゃるところに、侍従じじゅう乳母めのと が参上して、 「お出かけはどちらですか。お出かけのことを人々がとやかく申しているのを聞きました。あの女は特に身分の高いというわけでもございません。お使いになろうと思われるでしたら、その者はみなお召しになって使われるのがよろしいでしょう。軽々しいお忍び歩きは、ひどく見苦しいものです。とりわけあの女の所は、男たちが多くかよってきています。とんでもない事もおきてくるでしょう。みんなよくないことは、右近うこんじょうなにがし がはじめるのです。 き兄宮様をも、この男がお連れして歩いたのでした。よる夜中までお出かけなさったのでは、よいことのあるはずがございません。 こんなお供をして歩くような者は、大殿おほとの にも申し上げましょう。世の中は、今日明日ともしらず変わりそうな様子ですのに、また大殿がお心に決めておられるこもありますのに、世間の情勢をお見届けになりますまでは、こんなお忍び歩きはなさらない方がよいでしょう」 と宮に申し上げなされると、 「どこに行くものか。つれづれなものだから、かりそめの慰みごとをするだけのことだ。たいそうなことに脇から言われるほどのことでもない」 とだけおっしゃって、 「いやしくつれない女ではあるけれど、しかしまったくとりえがないと言うのではない。呼び寄せてここに置こうか」 とお思いになるけれど、そうしたところで今よりももっと聞こえが悪いだろうと、あれこれ思い乱れておられるうちに、二人の間は間遠になってしまった。
『和泉式部日記』 校注・訳者;藤岡・中野・犬養・石井 発行所:小学館 ヨリ
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