からうじておはしまして、宮
「あさましく心よりほかにおぼつかなくなるぬるを、おろかになおぼしそ。御あやまちとなむ思ふ。かく参り来ることびんあしと思ふ人々、あまたあるやうに聞けば、いとほしくなむ。大方もつつましきうちに、いとどほどへぬる」
とまめやかに御物語すたまひて、宮 「いざたまへ、今宵
ばかり。人も見ぬ所あり。心のどかにものなども聞こえむ」 とて車をさし寄せて、ただ乗せに乗せたまへば、われにもあらで乗りぬ。人もこそ聞けと思ふ思ふ行い
けば、うたう夜よ ふけになれば、知る人もなし。やをら人もなき廊らう
にさし寄せて、下りさせたまひぬ。月もいと明かければ、 「下りね」 としひてのたまへば、あさましきやうにて下りぬ。宮
「さりや。人もなき所ぞかし。今よりはかやうにてを聞こえむ。人などのある折にやと思へば、つつましう」 など物語あはれにしたまひて、明けぬれば、車寄せて乗せたまひて、宮
「御送りにも参るべけれど、明かくなりぬべければ、ほかにありと人の見むもあいなくなむ」 とて、とどまらせたまひぬ。 |
宮はやっとのことで女のもとにおいでになって、
「我ながらあきれるほど心ならずもごぶさたしてしまいましたが、冷淡だとお思いくださるな。これもあなたのご責任だと思います。こうして私がお訪ねすることを、具合が悪いと思っている人々がたくさんあるように聞いているので、彼らが気の毒になりまして。また世間体からいっても遠慮しておりますうちに、いっそう日数がたちました」
とまじめにお話なさって、 「さあいらっしゃい、今夜だけは、誰にもわからない所があります。ゆっくりとお話でも申し上げましょう」 と、車をさし寄せて、むりやりお乗せになるので、ただ無我夢中で乗った。人に聞きつけられたらと案じながら行くと、ひどく夜もふけていたので、気づく人もいない。宮は車をそっと人影もない廊にさし寄せて、お下りになった。月までもひどく明るいので、宮が
「下りなさい」 とむりやりおっしゃるから、みっともなく思いながら下りた。 「どうです。誰もいない所でしょう。これからはこういう調子でお話しましょう。あなたのお家だと、誰かが来合わせているのではないこと思うので、気がひけまして」
などと、お話をしみじみなさり、夜が明けると、車を寄せて女をお乗せになって、 「お家までお送りしたいのですが、明るくなってしまうでしょうから、よそに行っていたと誰かに思われるのもおもしろくありません」
とおっしゃって、おとどまりになった。 |
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女、道すがら、 「あやしの歩ありき
や。人いかに思はむ」 と思ふ。 あけぼのの御姿の、なべてならず見えつるも、思ひ出でられて、 |
女
『宵ごとに 帰しはすとも いかでなほ あかつき起きを 君にせさせじ』 |
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苦しかりけり」
とあれば、 |
宮
『朝露の おくる思ひに くらぶれば ただに帰らむ 宵はまされり』 |
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さらにかかることは聞かじ。夜よ
さりは方かた ふたがりたり。御むかへに参らむ」
とあり。あな見苦し、つねにはと思へども、れいの車にておはしたり。さし寄せて、 「早や、早や」 とあれば、昨夜よべ
の所にて物語したまふ。上うへ
は、院の御方にわたらせたまふとおぼす。 |
女は帰る道すがら、
「みっともない夜歩きだった。人は何と思うだろう」 と思った。 曙あけぼの
に立たれた宮のお姿がくらべようもなく美しかったことも、思い出されて、 | 『いつも夜のうちにお帰しすることはありましても、なんとかして暁起きだけはおさせ申したくありません』 |
| 苦しゅうございました」
と書き贈ったので、 | 『朝露の置くころ起きてお別れするつらさにくらべてみると、お逢い出来ずにむなしく帰る夜のつらさの方が、もっとひどいものです』 |
| 絶対にあなたのそんなお言葉は、聞きませんよ。今夜はあなたの所が方塞かたふた
がりになっていて泊れません。外出のお迎えに参りましょう」 と、宮のご返事があった。ああみっともない、毎晩はとても、と思ったけれど、昨夜のように車でおいでになった。車をさし寄せて、
「早く、早く」 とおっしゃるので、本当にみっともないことだなと思いながら、そろそろと部屋へや
から出て車に乗ると、昨夜の場所に行って、お話しなされる。宮の北の方は、宮が父院のお邸に行かれたものだと、思っておられる。 |
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明けぬれば、
「鳥の音ね つらき」 とのたまはせて、やをら奉りておはしぬ。道すがら、宮
「かやうならむ折りは、かならず」 とのたまはすれば、女 「つねはいかで」 と聞こゆ。おはしまして、帰らせたまひぬ。しばしありて御文あり。宮
「今朝は鳥の音におどろかされて、にくかりつれば殺しつ」 とのたまはせて、鳥の羽に御文をつけて、 |
宮
『殺しても なほあかぬかな にはとりの 折ふし知らぬ 今朝の一声』 |
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御返し、 |
女
『いかにとは われこそ思へ 朝な朝な 鳴き聞かせつる 鳥のつらさは』 |
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と思ひたまふるも、にくからぬにや」 とあり。 |
夜が明けると、宮は
「鳥の音ね つらき」 とおっしゃって、そっと車に同乗して送ってこられた。その途中、
「こういう折には、必ず来てください」 とおっしゃるので、 「そう始終はとても」 と申し上げた。家までおいでになると、宮はお帰りになった。しばらくして御文がある。
「今朝は鳥の鳴く音に起こされて、憎らしかったので殺してやりました」 とお書きになって、鶏の羽にその御文をつけて、和歌がしるしてある。 | 『殺してもまだあきたらない気持ですと。二人の気持も知らず、鳴くべき折を心得ぬ鶏の今朝の一声のつれなさは』 |
| そのご返事は、 | 『どんなにつらいものかということは、私こそ知っておりました。毎朝毎朝、宮様のおいでがなく、むなしく夜を明かしたときに鳴いて聞かせる鶏の無情さは』 |
| と存じますにつけても、鶏の憎くないことがございましょうか」
と書いた。 |
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