晦日
の日、女 |
『ほととぎす
世にかくれたる 忍び音ね を いつかは聞かむ
今日もすぎなば』 |
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と聞こえさせたれど、人々あまたさぶらひけるほどにて、え御覧ぜさせず。つとめて、もて参りたれば見たまひて、 |
宮
『忍び音は 苦しきものを ほととぎす こだかき声を 今日よりは聞け』 |
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とて、二三日ありて、忍びわたらせたまへり。女は、ものへ参らむとて精進さうじ
したるうちに、いと間遠まどほ
なるもこころざしなきなめりと思へば、ことにものなども聞こえで、仏にことづけたてまつりて明かしつ。つとめて、宮 「めづらかに明かしつる」
などのたまはせて、 |
宮
『いさやまだ かかる道をば 知らぬかな あひてもあはで 明かすものとは』 |
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あさましく」
とあり。さぞあさましきやうにおぼしつらむといとほしくて、 |
女
『よとともに もの思ふ人は 夜とても うちとけて目の あふ時もなし』 |
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めづらかにも思うたまへず」
と聞こえつ。 |
四月の三十日に女は、 | 『ほととぎすのひそかな忍び音をいつ聞くことが出来ましょうか、四月も果ての今日が過ぎてしまいましたなら──今日はぜひおいでください──』 |
| と申し上げたけれど、宮のもとには人々が多く参上している折で、うまくお目にかけることが出来なかった。翌朝その歌を持ってうかがうと、御覧になって、 | 『ほとtぎすの忍び音は苦しいものですよ。高々とはりあげる声を今日からは聞いてください
──この五月からは人目を忍ばずうかがいます ──』 |
| とお返しになり、二、三日たってから、相変わらず人目を忍んでお越しになった。女は寺に詣でようとして、精進しているうちに、宮のおいでがひどく遠のいているのも愛情のないせいだろうと考えたので、特にお話なども申し上げないで、仏道精進にかこつけて、一夜を明かした。翌朝、帰られた宮から
「かわった夜の明かし方をしました」 などとお書きになって、 | 『さあて、こういう恋の道があるとはまだ知っていませんね。せっかくお逢いしても何事もなく夜を明かしてしまうとは』 |
| あきれましたよ」
とあった。まさにあきれてお思いだろうとお気の毒になって、 | 『毎晩物思いをする私は、夜といってもくつろいだ気持で目を合わせて眠ることなどまったくございません』 |
| 私にとっては珍しくも思われません」
と申し上げた。 |
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またの日、宮 「今日やものへは参りたまふ。さていつか帰りたまふべからむ。いかにましておぼつかなからむ」
とあれば、 |
女
『をりすぎて さてもこそやめ さみだれて 今宵こよひ
あやめの 根をやかけまし』 |
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とこそ思ひたまうべかりぬべけれ」 と聞こえて、参りて、三日ばかりありて帰りたれば、宮より
「いとおぼつかなくなりにければ、参りてと思ひたまふるを、いと心憂こころう
かりしにこそ、ものうくはづかしうおぼえて。いとおろかなるにこそなりぬべけれど、日ごろは、 |
宮
『すぐすをも 忘れやすると ほどふれば いと恋しさに 今日はまけなむ』 |
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あさからぬ心のほどを、さりとも」
とある、御返り、 |
女
『まくるとも 見えぬものから 玉かづら とふ一すぢも たえまがちにて』 |
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と聞こえたり。 |
つぎの日、宮から
「今日お寺詣でに行かれるのですか。それでいつお帰りになるのですか。どんなにか、ふだんよりも待ち遠しいことでしょう」 と書いてあるので、 | 『時期が過ぎれば、そのまま五月雨もやむように悲しみもやむでしょう。ですから今宵は、亡き宮様を偲ぶ涙で袖を濡らしに出かけましょうかしら』 |
| この気持がわかってくださるはずですのに」
と申し上げて、寺に詣でて三日ほたって帰って来ると、宮から、 「ひどく待ち遠しくなりましたので、お訪ねしようかと思うのですが、たいへんいやな思いをした前夜の例もありますゆえ、おっくうで気おくれがしまして、ひどく冷たい態度にとらわれてしまいそうですが、近ごろは、 | 『日をすごすことによって、あなたを忘れられるかと日数を経ましたところ、あまりの恋しさに今日は負けてお訪ねしましょう』 |
| 並々でない思いの程を、いくらなんでもおわかりでしょう」
とある、そのご返事、 | 『恋しさに負けておいでになるなどとも思われません。お便りくださるという一事さえ絶え間がちでいらっしゃるくせに』 |
| と申し上げた。 |
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宮、例の忍びておはしまいたり。女、さしもやはと思ふうちに、日ごろのおこなひに困こう
じて、うちまどろみたるほどに、門かど
をたたくに聞きつる人もなし。聞こしめすことどもあれば、人のあるにやとおぼしめして、やをら帰らせたまひて、つとめて、 |
宮
『あけざりし まこの戸口に 立ちながら つらき心の ためしとぞ見し』 |
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憂きはこれにやと思ふも、あはれになむ」
とあり。 「昨夜よべ おはしましけるなめりかし、心もなく寝にけるものかな」
と思ふ。御返、 |
女
『いかでかは まきの戸口を さしながら つらき心の ありなしを見む』 |
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おしはからせたまふめるこそ。見せたらば」
とあり。今宵こよひ もおはしまさまほしけれど、かかる御歩ありき
を人々も制しきこゆるうちに、内大殿うちのおとど
・春宮とうぐう などの聞こしめさむこともかろがろしう、おぼしつつむほどに、いとはるかなり。
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宮は例のごとく忍んでおいでになった。女はまさかお見えになるまいと思っているうちに、何日かのお勤めに疲れて、うとうと眠っているときであったので、門を叩いてもそれを聞きつける人もいなかった。 宮は女の噂うわさ
でお聞き及びのことがあったから、誰か男が来ているのだろうとお思いになって、そっとお帰りになり、翌朝、 | 『明けてくださらなかった槙まき
の戸口に立ちつづけて、これがあならの無情な心の証拠だなと思いました』 |
| 恋のつらさはこのことかと思うにつけても、しみじみ悲しいことでした」
と御文があった。女は 「昨夜おいでになったとみえる、不用意にも寝てしまったものよ」 と思った。そのご返事は | 『槙の戸口は誰一人入らず鎖とざ
したままです。どうして私の心が薄情かどうか、外からおわかりになるでしょうか』 |
| 変なご想像をしていらっしゃるようです。人知れぬ心の中をお見せできましたなら」
と書いた。宮は、今宵もまたお出かけになりたかったけれど、こうしたお忍び歩きを人々もおとめ申し上げているうちに、内大臣や東宮とうぐう
などのお耳にはいるようなことがあったら、いかにも軽薄なふるまいと思われるだろうと、気持を慎んでおられる間に、長い日数がたってゆくのであった。 |
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『和泉式部日記』 校注・訳者;藤岡・中野・犬養・石井 発行所:小学館 ヨリ
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