〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-V』 〜 〜
和 泉 式 部 日 記

2012/08/01 (水) 宮 と の 契 り ─ 恋 心 と 自 省

かくて、しばしばのたまはする、御返も時時聞こえさす。つれづれもすこしなぐさむここちしてすぐす。また御文あり。ことばなどすこしこまやかにて、

『語らはば なぐさみことも ありやせむ 言ふかひなくは 思はざらなむ』
あはれなる御ものがたり聞こえさせに、暮にはいかが」 とのたまはせたれば
『なぐさむと 聞けば語ら まほしけれど 身の憂きことぞ 言ふかひもまき』
ひたるあし にて、かひなくや」 と聞こえつ。
このようにして、宮からしげしげとお便りがあり、ご返事も時々はさし上げる。つれづれのさびしさも少しは慰められる思いですごしていた。また宮からお手紙があった。文章などいくらかねんごろで、
『お目にかかってお話をしあえば、お心の慰むこともあるでしょう。私を話し相手にならぬ者だと、お見捨てにならないでください』
しんみりしたお話を申し上げたいのですが、今日の夕暮れはいかがですか」 とお書きになってあるので
『心がまぎれるとお聞きしますと親しくお話をしたいのですが、この悲しいわが身にはお話をしあうのも甲斐かい のないことでしょう』
ひたるあし の・・・・』 のように、この き身は口もきけず泣くばかりですから、無駄でございましょう」 と申し上げた。
思ひがけぬほどに忍びてとおぼして、昼より御心まうけして、日ごろも御文とりつぎて参らする右近うこんじょう なる人を召して、 「忍びてものへ かむ」 とのたまはすれば、さなめりと思ひてさぶらふ。あやしき御車にておはしまいて、 「かくなむ」 と言はせたまへれば、女いとびなきここちすれど、 「なし」 と聞こえさすべきにもあらず。昼も御返り聞こえさせつれば、ありながら帰したてまつらむもなさけなかるべし。ものばかり聞こえむと思ひて、西のつま戸に円座わらざ さし出でて入れたてまつるに、世の人の言へばにやあらむ、なべて御さまにはあらずなまめかし。それも心づかひせられて、ものなど聞こゆるほどに月さし出でぬ。 「いと明かし。古めかしう奥まりたる身なれば、かかるところにゐならはぬを。いとはしたなきここちするに、そのおはするところに ゑたまへ。よも、さきざき見たまふらむ人のやうのはあらじ」 とのたまへば、 「あやし。今宵こよひ のみこそ聞こえさすると思ひはべれ。さきざきはいつかは」 など、はかなきことに聞こえなすほどに、夜もやうやうふけぬ。かくて明かすべきにやとて、
『はかもなき 夢をだに見で 明かしては なにをかのちの 夜がたりにせむ』
とのたまへば
『夜とともに ぬるとはそで を 思うふ身も のどかに夢を 見る宵ぞなき』

まいて」 と聞こゆ。
「かろがろしき御ありき すべき身にてもあらず。なさけなきやうにはおぼすとも。まことにものおそろしきまでこそおぼゆれ」 とて、やをらすべり入りたまひぬ。

宮は、女の思いもかけないときにひそかに行こうとお思いになって、昼から心がまえをなさり、ふだんもお手紙を取り次いでさし上げている右近うこんじょう をお召しになって、 「忍んで出かけよう」 とおっしゃったところ、尉は、あの女の所だなと思ってお供をする。粗末なお車でおいでになって、 「これこれでうかがいました」 と尉に言わせなさると、女は困りきった気持がしたけれど、 「おりません」 と申し上げるわけにもゆかない。昼もご返事をさし上げたことなので、家に居ながらお帰し申し上げるのも非情な仕打ちであろう。お話だけしようと思って、西の妻戸に円座をさし出し、そこひお入れ申したところ、世人の評判を聞いているせいであろうか、並々のご容姿ではなく優美である。そのお美しさも思わず意識されながら、お話など申し上げているうちに月がさし出てきた。 「これは明るい。私は旧式で家にこもりがちなので、こういう端近な所に慣れていないのですよ。ひどくきまりの悪い気持がしますので、あなたのいらっしゃるおそばに坐らせていただきたい。けっして、あなたが今までお会いになった男のようなまねはいたしませんよ」 とおっしゃるので、 「妙なことを。今夜一晩だけお話相手を申し上げるのだと思っております。今まで・・・ とは、いつからそんなことが私にございましたかしら」 などと、とりとめもないことにお話をまぎらしているうちに、夜もしだいにふけてきた。宮は、このままむなしく夜を明かしてしまうのかとお思いになって、
『はかない仮寝の夢さえ結ばずにこの夜を明かしてしまったら、いったい何を一夜の思い出話にするというのでしょうか』
とおっしゃるので
『夜になって寝るとかならず袖が涙に れる悲しいわが身もまた、一夜どころか、のどかに夢を見る宵とてございません』
ましてご一緒には、とても」 と申し上げた。
「軽々しい外出のできる身ではありません。ひどい仕打ちとお思いになっても。本当に私の恋心は空恐ろしいほどなのです」 とおっしゃって、そっと女の所にすべりこまれた。
いとわりなこことどもをのたまひ契りて、明けぬれば帰りたまひぬ。すなはち、 「今のほどもいかが。あやしうてこそ」 とて、
『恋と言へば 世のつねのとや 思ふらむ 今朝の心は たぐひだになし』
御返り、
女 『世のつねの ことともさらに 思ほえず はじめてものを 思ふあしたは』
と聞こえても、 「あやしかりける身のありさまかな、故宮こみや のさばかりのたまはせしものを」 とかなしくて、思ひ乱れるほどに、例のわらは 来たり。御文やあらむと思ふほどに、さもあらぬを心憂しと思ふほども、すきずきしや。
帰り参るに聞こゆ。
『待たましも かばかりこそは あらましか 思ひもかけぬ 今日の夕暮』
御覧じて、げにいとほしうもとおぼせど、かかる御ありき さらにせさせたまはず。北の方も、例の人の仲のやうにこそおはしまさねど、夜ごとに出でむもあやしとおぼしめすべし。 「故宮のはてまでそしられさせたまひしも、これによりてぞかし」 とおぼしおぼしつつむも、ねんごろにおぼされぬなめりかし。
暗きほどにぞ御返りある。
『ひたぶるに 待つとも言はば やすらはで 行くべきものを 君が家路に』
おろかにやと思ふこそ苦しけれ」 とあるを、女 「なにか。ここには、
『かかれども おぼつかなくも 思ほえず これも昔の えにこそあるらめ』
と思ひたまふれど、なぐさめずはつゆ」 と聞こえたり。 おはしまさむとおぼしめせど、うひうひしうにみおぼされて、日ごろになりぬ。
まことにせつないことの数々を約束なさって、夜が明けると宮はお帰りになった。
するとすぐに 「お別れしてから今まで、どうしておいでですか。われながら不思議なほどに苦しい気持です」 とあって、
『恋というとあなたは世間並みのものとお考えでしょうが、私の今朝の恋心は比べようもないはげしいものなのです』
ご返事を、
『世間並みのありふれた恋とは少しも思われません。今朝はじめて恋の切なさを知った私なのですから』
と申し上げるにつけても、 「思いがけず奇妙なことになったわが身の運命よ、 くなった兄宮様があれほど深く愛してくださったのに」 と悲しく、思い乱れていると、いつもどおり童がやって来た。宮からのお手紙があるのだろうと思っていたところ、そうでもないのでつらく思われたが、それにつけても、考えてみれば私はほんとに好き好きしい女だ。
童が帰参するのに託して、申し上げた。
『もしおいでをお待ちするとしたら、このようなつらさなのでしょう。後朝の今日の夕暮れというのに、思いがけずお心にかけてくださらなかったので心が乱れたため、わかりました』
宮はこの歌を御覧になって、本当にかわいそうにと思われるが、こうした夜歩きはまったくなさらない。それに北の方も、普通の睦まじい夫婦仲のようではいらっしゃらなかったけれど、毎晩お出かけになったのでは不審にお思いになるであろう。また 「兄宮が最後までとやかくうわさ をされなさったのも、この女のせいであった」 と慎まれるのであったが、それも女のことをねんごろには思っておられないからなのであろう。
暗くなったころ、ご返事があった。
一途いちず にお待ちしますとでも言って下さったら、ためらわずにあなたの家に向かってゆくのに。 「もし「おいでをお待ちするとしたら」 などとおっしゃるとは』
私の気持をいい加減だと考えておられるかと思うと、苦しいのです」 と書いてあるのを、 「いいえ、どういたしまして。私のほうは、
『こういうおいでのない状態でおりましても、心細くも思われません。これも兄宮様との宿縁で結ばれているからなのでございましょう』
と存じておりますけれど、でも慰めてくださらないと、生命いのち が消えてしまいそうです」 と申し上げた。宮はお出かけになろうと思われたけれど、ひどく気が重いようにお思いになって、何日かが過ぎてしまった。
『和泉式部日記』 校注・訳者;藤岡・中野・犬養・石井 発行所:小学館 ヨリ
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