その後、長老様へ事情を申し上げたところ、驚かれて、
「そなたの身jは、そなたが懇ろに契約した兄分の方が、特別に愚僧を頼まれたので預かっているのだが、その方は、今は松前
に行っておられ、この秋の頃には必ずここに来ると、かえすがえすこの間も連絡してこられたのに、それ以前に何か問題が起こったら、さしずめ迷惑するのは、この私である。兄分の方が帰って来られた上で、どのようにも身の振り方をつけたがよかろう」
と、いろいろ意見されたので、平素のご恩を考え合わせ、 「何事も仰せに違たが
うような事はいたしません」 と、そのお言葉を承知したが、長老様はそれでもまだ不安に思われて、刃物を取り上げ、大勢の番を付けられたので、しかたなく、ふだんの居間に入って、人々に語るには、
「さてもさても、自分でしでかした事ながら、世間からとやかく謗られるのも残念です。まだ若衆の道を立てている身でありながら、ふとした人のせつない情けにほだされて、そればかりか、それがその人の難儀になったこの身のつらさ、衆道の神も仏も、この私をお見捨てなされたのでしょうか」
と、感きわまって涙を流し、 「ことに、兄分の人の帰られての成り行きを考えてみると、まったく面目の立ちようがありません。それより前に早く命を絶ちたいのです。けれども、舌を食い切ったり、首をくくったりしては世間の聞えも生ぬるく男らしくありません。どうかお情けに刀を一本お貸しください。生きながらえて何のかいがありましょう」
と、涙ながらに語るので、一座の人々も袖そで
をしぼって、深くあわれんだのであった。 |