〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-V』 〜 〜
恋 草 か ら げ し 八 百 屋 物 語

2012/07/22 (日) 様 子 あ っ て の にはか ばう (三)

この事、お七親より聞きつけて、 「御嘆きもつともとは存じながら、最後さいご の時分、くれぐれ申し置きけるは、吉三郎殿、まことのなさけ けならば、浮世捨てさせ給ひ、いかなる出家にもなり給ひて、かくなり行くあと をとはせ給ひなば、いかばかり忘れ置くまじき。二世にせ までのえん ちまじと申し置きし」 と、様々さまざま 申せども、中々なかなか 吉三郎きき 分けず、いよいよ思ひきは めて、舌食ひ切る色めの時、母親耳近く寄りて、しばし小語ささや き申されしは、何事にかあるやらん。吉三郎うなづきて、 「ともかくも」 といへり。
そののち兄分あにぶん の人も立帰たちかへ り、至極しごく異見いけん 申しつく して、出家しゆつけ となりぬ。この前髪の散るあはれ、坊主も剃刀かみそり 投捨なげす て、さかり なる花に時の間の嵐のごとく、思ひくらぶれば、命はありながら、お七最期さいご よりは、なほ哀れなり。古今ここん美僧びそう 、これを惜しまぬはなし。そう じて恋の出家しゆつけ 、まことあり。吉三郎兄分あにぶん なる人も、古里ふるさと 松前まつまへ に帰り、墨染すみぞめ の袖とはなりけるとや。さてもさても、取集めたる恋や、あはれや。無常むじやう なり、夢なり、うつつ なり。

このことをお七の親たちが聞きつけて、 「お嘆きはごもごもっともと存じますが、娘が臨終の時くれぐれも申しますには、吉三郎殿がまことに私を思ってくださるのならば、浮世をお捨てになり、どのようなご出家にでもなってくださって、このようにして死んで行く私の後世をとむら ってくださるならば、どれほどうれ しいか、そのお情けは決して忘れることはございません。二世までの夫婦の縁は決してむな しくなることはありますまい、と申し残しました」 と、いろいろと言葉を尽くしたが、なかなか吉三郎は聞き入れず、いよいよ思い切って舌を食い切る気配が見えた時、お七の母親が耳のそば 近くに寄って、しばらく小声でささや かれたのは何事だったのだろうか。吉三郎はうなずいて、 「わかりました」 と言って、その言葉に従った。
その後、兄分の人も帰って来て、もっとも千万な意見を申しつくし、吉三郎は出家することになった。この美しい前髪を散らす哀れさ。坊主も剃刀かみそり を投げ捨て、まるで満開の花を一瞬の嵐に吹き散らす心地がして、思い比べると、命はあるというものの、お七の最期よりはなお一層哀れであった。剃髪ていはつ してみると、古今まれな美僧となったが、あたら美少年をと惜しまぬ者とてはなかった。すべて恋が動機で発心ほっしん した僧は道心堅固である。吉三郎の兄分の人も故郷の松前に帰って出家し墨染すみぞめ の衣をまとう身になったという。さてもさても、あれこれと様々に入り乱れた恋であった。まことに哀れである。無常である。夢である。現である。

『井原西鶴集 一』 佼注・訳者;暉峻 康隆・相賀 徹夫 発行所:小学館 ヨリ