それとはいはずに、明暮
女心をんなごころ のはかなや。逢ふべき便たよ
りもなければ、ある日、風のはげしき夕暮に、いつぞや、寺へ逃げ行く世間の騒ぎを思ひ出して、 「又さもあらば、吉三郎様に逢ひ見る事の種たね
ともなるなん」 と、よしなき出来心にして、悪事を思ひ立つこそ因果いんぐわ
ばれ。少しの煙立騒たちさわ ぎて、人々、不思議と心懸こころか
け見しに、お七が面影おもかげ
をあらはしける。これを尋ねしに、つつまずありし通りを語りけるに、世のあはれとぞなりにける。 |
本心を誰だれ
にも打ち明けず、朝夕にくよくよと思いつめる女心ははかないものである。お七は恋人に逢あ
う手段もないままに、ある日、激しく風の吹く夕暮れ、いつぞや吉祥寺へ避難した時の世間の火事騒ぎを思い出して、 「また、あのような事になったら、吉三郎殿にお逢いできる種にもなるだろう」
と、つまらない出来心で悪事を思い立ったのは因果なことであった。少しばかりの煙が立ちのぼったので、人々が騒ぎたて、不思議だと気をつけて見たところ、お七の姿を発見した。そこで尋ねたところ、包み隠さず、ありのままを白状したので、放火の罪となり、世の哀れの種となったのである。 |
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今日は、神田かんだ
のくづれ橋に恥をさらし、又は四谷よつや
、芝しば の浅草あさくさ
、日本橋にほんばし に、人こぞりて見るに、惜しまぬはなし。これを思ふに、仮かり
にも人は悪あ しき事せまじき物なり。天これを許し給はぬなり。 この女思ひ込みし事なれば、身のやつるる事なくて、毎日ありし昔のごとく、黒髪を結ゆ
はせて、うるはしき風情ふぜい
、惜しや十七の春の花も散ち りぢりに、ほととぎすまでも惣鳴そうな
きに、卯月うづき のはじめつ方かた
、最期さいご ぞとすすめけるに、心中さらにたがはず、
「夢ゆめ 幻まぼろし
の中うち ぞ」 と、一念いちねん
に仏国ぶつこく を願ひける心ざし、さりとては痛はしく、手向花たむけばな
とて咲き遅れし桜を一本ひともと
持たせけるに、うち詠なが めて、
「世のあはれ、春吹く風に名を残のこ
し遅れ桜の今日散りし身は」 と吟じけるを、聞く人一入ひとしほ
に痛ましく、その姿を見送りけるに、限りある命のうち、入相いりあひ
の鐘つく頃、品かはりたる道芝の辺にして、その身は憂き煙となりぬ。人皆いづれの道にも煙はのがれず、ことに不便ふびん
はこれにぞありける。 |
お七は引き回されて、今日は神田の崩くず
れ橋ばし でさらし者になり、また四谷よつや
、芝の札ふだ の辻つじ
、浅草、日本橋と、群れ集まって見物した人々は、その命を惜しまぬ者はなかった。これを思うに、かりそめにも人は悪い事をしてはならない。悪い事は天がお許しにならないのである。 このお七は、かねてから十分に覚悟したことであるから、姿形すがたかたち
がやつれるようなこともなく、毎日、もと家にいた時のとおりに黒髪を結ゆ
わせ、美しい風情ふぜい であったが、惜しいかなその十七歳の春の花も散り、ほととぎす・・・・・
までも声をそろえて悲しげに鳴き立てる四月の初めごろ、最期であるぞと覚悟を促したところ、心を取り乱した様子もなく、 「この世は夢ゆめ
幻まぼろし 」 と、一心に浄土を願うその志は、ひとしお痛ましかった。背での旅路の手向たむけ
花として、遅れ咲きの桜を一枝持たせたところ、つくづくと眺めて、 「世の哀れ春吹く風に名を残しおくれ桜の今日散りし身とは」 と吟じたのを、聞く人はなお一層哀れに思って、引かれ行くその後ろ姿を見送ったのであったが、それも限られた短い命のうちのこと、やがて入相いりあい
の鐘をつくころ、品川の道のほとり、鈴の森で、世にも珍しい火刑に処せられたのであった。人間というものはどの道煙となることは免れないけれども、とりわけて不憫ふびん
なのは、このお七の最期であった。 |
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それは昨日きのふ
、今朝けさ 見れば、塵ちり
も灰もなくて、鈴すず の森もり
松風ばかり残りて、旅人も聞きき
伝へてただは通らず、回向ゑかう
してその跡を弔とむら ひける。さればその日の小袖、郡内縞ぐんないじま
のきれぎれまでも世の人拾ひ求めて、末々すゑずゑ
の種たね とぞ思ひける。 |
それは昨日のこと、今朝見ると塵ちり
も灰もなく、鈴の森には松風ばかりが残っている。旅人たちも話を聞き伝えて、ここをただは通らず、念仏や読経などをしてその亡き跡を弔とむら
った。そしてその日、お七が着ていた小袖こそで
の郡内縞ぐんないじま の切れ端までも、人々は拾い求めて、末の世までの語りぐさと思うのであった。 | 『井原西鶴集
一』 佼注・訳者;暉峻 康隆・相賀 徹夫 発行所:小学館 ヨリ |
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