〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-V』 〜 〜
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2012/07/21 (土) 世 に 見 を さ め の 桜 (一)

それとはいはずに、明暮あけくれ 女心をんなごころ のはかなや。逢ふべき便たよ りもなければ、ある日、風のはげしき夕暮に、いつぞや、寺へ逃げ行く世間の騒ぎを思ひ出して、 「又さもあらば、吉三郎様に逢ひ見る事のたね ともなるなん」 と、よしなき出来心にして、悪事を思ひ立つこそ因果いんぐわ ばれ。少しの煙立騒たちさわ ぎて、人々、不思議と心懸こころか け見しに、お七が面影おもかげ をあらはしける。これを尋ねしに、つつまずありし通りを語りけるに、世のあはれとぞなりにける。

本心をだれ にも打ち明けず、朝夕にくよくよと思いつめる女心ははかないものである。お七は恋人に う手段もないままに、ある日、激しく風の吹く夕暮れ、いつぞや吉祥寺へ避難した時の世間の火事騒ぎを思い出して、 「また、あのような事になったら、吉三郎殿にお逢いできる種にもなるだろう」 と、つまらない出来心で悪事を思い立ったのは因果なことであった。少しばかりの煙が立ちのぼったので、人々が騒ぎたて、不思議だと気をつけて見たところ、お七の姿を発見した。そこで尋ねたところ、包み隠さず、ありのままを白状したので、放火の罪となり、世の哀れの種となったのである。

今日は、神田かんだ のくづれ橋に恥をさらし、又は四谷よつやしば浅草あさくさ日本橋にほんばし に、人こぞりて見るに、惜しまぬはなし。これを思ふに、かり にも人は しき事せまじき物なり。天これを許し給はぬなり。
この女思ひ込みし事なれば、身のやつるる事なくて、毎日ありし昔のごとく、黒髪を はせて、うるはしき風情ふぜい 、惜しや十七の春の花も りぢりに、ほととぎすまでも惣鳴そうな きに、卯月うづき のはじめつかた最期さいご ぞとすすめけるに、心中さらにたがはず、 「ゆめ まぼろしうち ぞ」 と、一念いちねん仏国ぶつこく を願ひける心ざし、さりとては痛はしく、手向花たむけばな とて咲き遅れし桜を一本ひともと 持たせけるに、うちなが めて、 「世のあはれ、春吹く風に名をのこ し遅れ桜の今日散りし身は」 と吟じけるを、聞く人一入ひとしほ に痛ましく、その姿を見送りけるに、限りある命のうち、入相いりあひ の鐘つく頃、品かはりたる道芝の辺にして、その身は憂き煙となりぬ。人皆いづれの道にも煙はのがれず、ことに不便ふびん はこれにぞありける。

お七は引き回されて、今日は神田のくずばし でさらし者になり、また四谷よつや 、芝のふだつじ 、浅草、日本橋と、群れ集まって見物した人々は、その命を惜しまぬ者はなかった。これを思うに、かりそめにも人は悪い事をしてはならない。悪い事は天がお許しにならないのである。
このお七は、かねてから十分に覚悟したことであるから、姿形すがたかたち がやつれるようなこともなく、毎日、もと家にいた時のとおりに黒髪を わせ、美しい風情ふぜい であったが、惜しいかなその十七歳の春の花も散り、ほととぎす・・・・・ までも声をそろえて悲しげに鳴き立てる四月の初めごろ、最期であるぞと覚悟を促したところ、心を取り乱した様子もなく、 「この世はゆめ まぼろし 」 と、一心に浄土を願うその志は、ひとしお痛ましかった。背での旅路の手向たむけ 花として、遅れ咲きの桜を一枝持たせたところ、つくづくと眺めて、 「世の哀れ春吹く風に名を残しおくれ桜の今日散りし身とは」 と吟じたのを、聞く人はなお一層哀れに思って、引かれ行くその後ろ姿を見送ったのであったが、それも限られた短い命のうちのこと、やがて入相いりあい の鐘をつくころ、品川の道のほとり、鈴の森で、世にも珍しい火刑に処せられたのであった。人間というものはどの道煙となることは免れないけれども、とりわけて不憫ふびん なのは、このお七の最期であった。

それは昨日きのふ今朝けさ 見れば、ちり も灰もなくて、すずもり 松風ばかり残りて、旅人もきき 伝へてただは通らず、回向ゑかう してその跡をとむら ひける。さればその日の小袖、郡内縞ぐんないじま のきれぎれまでも世の人拾ひ求めて、末々すゑずゑたね とぞ思ひける。

それは昨日のこと、今朝見るとちり も灰もなく、鈴の森には松風ばかりが残っている。旅人たちも話を聞き伝えて、ここをただは通らず、念仏や読経などをしてその亡き跡をとむら った。そしてその日、お七が着ていた小袖こそで郡内縞ぐんないじま の切れ端までも、人々は拾い求めて、末の世までの語りぐさと思うのであった。

『井原西鶴集 一』 佼注・訳者;暉峻 康隆・相賀 徹夫 発行所:小学館 ヨリ
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