〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-V』 〜 〜
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2012/07/20 (金) 虫出しの神鳴かみなりふんどし かきたる君様きみさま (四)

そののち は心まかせになりて、吉三郎寝姿ねすがた寄添よりそ ひて、何とも言葉なく、しどけなくもたれかかれば、吉三郎夢覚めて、なほ身をふるはし、小夜着こよぎたもと を引きかぶりしを引退ひきの け、 「髪に用捨ようしや もなき事や」 といへば。吉三郎せつなく、 「わたくしは十六になります」 といへば、お七、 「わたくしも十六になります」 といへば、吉三郎重ねて、 「長老様がこはや」 といふ。 「おれも長老ちやうらう 様はこはし」 といふ。何とも、この恋はじめもどかし。後は、ふたりながら涙をこぼし、不埒ふらち なりしに、又、雨のあが神鳴かみなり あらけなく響きしに、 「これはほんにこはや」 と、吉三郎にしがみ付きけるにぞ、おのづから、わりなきなさけ 深く、 「冷えわたりたる手足や」 と、はだ へ近寄せしに、お七恨みて申しはべ るは、 「そなた様にも憎からねばこそ、よしなき文給はりながら、かく身を冷やせしは がさせけるぞ」 と、首筋に食ひつきける。いつとなく、わけもなき首尾しゆび して、寝れ めしより、袖はたがひ に、限りは命と定めける。

そのあとはお七の心のままになって、吉三郎の寝姿に寄り添い、何も言わずにしどけなくもたれかかると、吉三郎は目を覚ましたが、彼もやはり身をふる わして、小夜着のそで を頭から引きかぶるのを引きのけ、 「まあ髪を乱暴になさいますこと」 と言う。吉三郎は困り果てて、 「私は十六になります」 ち言えば、お七も 「私も十六になります」 と言う。吉三郎はさらに 「長老様がこわい」 と言うと、 お七も 「私も長老様はこわい」 と言って、どうにもこの恋始めはもどかしいことであった。あとで二人とも涙をこぼして、いっこうにらち があかなかったが、この時また雨の上がりぎわ の雷が激しく響いたので、 「これは本当にこわい」 と言ってお七は吉三郎にしがみついた。それで自然と吉三郎もこらえきれない愛情がたかまって、 「手足が冷えきっておりますね」 と言って、自分のはだ に引き寄せた。お七が恨んで申すには、 「あまた様も私を憎からずお思いにばればこそ、あのような恋文など下さりながら、こんなに私の身を冷たくさせたのはどなたのせいでしょう」 と、吉三郎の首筋にしがみついた。それでいつとなく夢中で愛し合い、縁を結んだ上は、お互いに命の終わるまで変るまいと、涙のそで を絞って約束したのであった。

『井原西鶴集 一』 佼注・訳者;暉峻 康隆・相賀 徹夫 発行所:小学館 ヨリ
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