〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-V』 〜 〜
恋 草 か ら げ し 八 百 屋 物 語

2012/07/17 (火) 虫出しの神鳴かみなりふんどし かきたる君様きみさま (一)

春の雨、玉にもぬける柳原やなぎはら のあたりより参りけるのよし、十五日の夜半やはん に、外門そともん あらけなくたた くにぞ、僧中そうぢゆう 夢驚かし聞きけるに、 「米屋こめや の八左衛門長病ちやうびやう なりしが、今宵こよひ あひ て申されしに、思ひまうけし死人しにん なれば、夜のうちに野辺のべ へ送り申したき」 との使つかひ なり。

春の雨が柳の枝に玉を貫いたように見える正月十五日の夜半に、柳原やなぎはら のあたりから参りましたと言って、吉祥寺の外門を乱暴に叩く者があったので、寺じゅうの僧が皆目を覚まして聞いたところ、 「米屋の八左衛門が長らく病気でしたが、今夜あい果てました。かねてから覚悟していた死人のことですから、夜の明けぬうちに野辺の送りをいたしとうございます」 という使いであった。

出家しゆつけ の役なれば、あまたの法師召し連れられ、晴間はれま を待たず、からかさ をとりどりに、御寺みてらいで て行き給ひし跡は、七十に余りし庫裏くり うば ひとり。十二、三なるしん 発意ばち 一人いちにん 、赤犬ばかり、残る物とて松の風淋しく、虫出の神鳴かみなり 響き渡り、いづれも驚きて、姥は年越としこし の夜のいり 大豆まめ 出すなど、天井てんじやう のある小座敷たづねて身をひそめける。

これは僧侶の役目なので、長老様は大勢の法師たちを引連れられて、雨の晴れ間も待たず、手の手にかさ を持って出て行かれたあとは、七十を越えた庫裡くり うば 一人、十二、三歳のしん 発意ぼち 一人と赤犬ばかり、そのほかに残るものとては松の風がさび しく吹いているだけであった。その折、虫出しの雷が鳴り響いたので、皆々びっくりして目を覚まし、姥は雷 けに節分の夜の り豆を取り出したり、人々は天井のある小座敷を捜して身をひそめたりした。

母の親、子を思う道に迷ひ、われ をいたはり、夜着よぎ の下へ引寄ひきよ せ、きびしく鳴る時は、 「耳ふさげ」 など心を付け給ひける。女の身なれば、恐ろしさ限りもなかりき。されども 「吉三郎に会ふべき首尾しゆび今宵こよひ ならでは」 と思ふ下心したごころ ありて、 「さても浮世うきよ の人、何とて鳴神なるかみ を恐れけるぞ。捨ててから命、少しも我は恐ろしからず」 と、女の強がらずしてよき事に、無用の言葉、末々すえずえ の女どもまでこれをそし りける。

お七の母親は、子を思う親心のあまり、娘をいたわって、自分の夜着の下に引き寄せ、ひどく鳴る時は、 「耳をふさぎなさい」 などと気をつけてやられた。お七も女の身であるから、恐ろしくてたまらなかったけれども、 「吉三郎に会う機会は今宵こよい を逃してはない」 と内心で思っているので、 「さてさて世間の人は、どうして雷など恐れるのでしょう。捨てたところでたかが命一つ、わたしはちっともこわくない」 と、女が強がる必要もないことに、余計なことを言ったので、下々の女どもまで陰口をきいてそし るのであった

『井原西鶴集 一』 佼注・訳者;暉峻 康隆・相賀 徹夫 発行所:小学館 ヨリ
Next