お七、次第
にこがれて、 「この若衆わかしゆ
いかなる御方おかた ぞ」 と納所坊主なつしよぼうず
に問ひければ、 「あれは小野おの
川がは 吉三郎殿と申して、先祖正しき御ご
浪人衆ろうにんしゆ なるが、さりとはやさしく、情なさけ
の深き御方おかた 」 と語るにぞ、なほ思ひ増まさ
りて、忍び忍びの文ふみ 書きて、人知れず遣つか
はしけるに、便たよ りの人かはりて、結句けつく
、吉三郎方かた より、思はくかずかずの文送りける。心ざし、互たがひ
いに入乱いりみだ れて、これを諸思もろおも
ひとや申すべし。両方ともに返事なしに、いつとはなく浅からぬ恋人こひびと
恋はれ人、時節じせつ を待つうちこそうき世よ
なれ。 |
お七は次第に恋い焦がれるようになって、
「あの若衆様はどうしたお方でしょう」 と、納所なっしょ
坊主ぼうず に尋ねたところ、
「あれは小野川吉三郎殿と申して、ご先祖は由緒ゆいしょ
正しいご浪人ですが、それはそれは優しくて、情けの深いお方でございます」 と話してくれたので、お七はいっそう恋心がつのって、ひそかに恋文を書き、人目を忍んで届けたところ、恋文の書き手が入れ替わって、結局、吉三郎のほうからも胸の思いを数々書き連ねた文を届けてきた。恋い慕う気持が互いに入り乱れて、こういうのを相思相愛というのであろう。双方ともに相手に返事をするまでもなく、いつとなく深い恋人・恋われ人になり、会うべき機会を待っているうちが、二人にはままならぬ憂き世というものである。
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大晦日おほつごもり
は思ひの間に暮れて、明くれば新玉あらたま
の年のはじめ、女松めまつ 、男松をまつ
を立て飾りて、暦こよみ 見そめしにも、姫はじめをかしかりき。されどもよき首尾しゅび
なくて、つひに枕も定めず、君がため若菜祝ひける日も終をは
りて、九日、十日過ぎ、十一日、十二、十三、十四日の夕暮、はや松の内も皆になりて、甲斐かひ
なく立ちし名こそはかなけれ。 |
大晦日おおみそか
は物思いの闇やみ に暮れ、一夜明けるとあらたまの年の始め、門には女松と男松と並べて飾り立て、新しい暦を見ても姫はじめと書いてあるのがおかしかった。けれども二人はよい機会がなくて、ついに枕まくら
を交かわ すこともなく、 「君がため春の野に出でて」
と歌に詠よ まれた若菜を祝う日も終わり、九日、十日もすぎ、十一日、十二、十三、十四日も夕暮れ、もはや松の内も終わりになって、むなしく浮名ばかりが高くなったのもはかないことであった。 | 『井原西鶴集
一』 佼注・訳者;暉峻 康隆・相賀 徹夫 発行所:小学館 ヨリ |
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