〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-V』 〜 〜
恋 草 か ら げ し 八 百 屋 物 語

2012/07/17 (火) おほ せつ は 思 ひ の やみ (四)

お七、次第しだい にこがれて、 「この若衆わかしゆ いかなる御方おかた ぞ」 と納所坊主なつしよぼうず に問ひければ、 「あれは小野おの がは 吉三郎殿と申して、先祖正しき 浪人衆ろうにんしゆ なるが、さりとはやさしく、なさけ の深き御方おかた 」 と語るにぞ、なほ思ひまさ りて、忍び忍びのふみ 書きて、人知れずつか はしけるに、便たよ りの人かはりて、結句けつく 、吉三郎かた より、思はくかずかずの文送りける。心ざし、たがひ いに入乱いりみだ れて、これを諸思もろおも ひとや申すべし。両方ともに返事なしに、いつとはなく浅からぬ恋人こひびと 恋はれ人、時節じせつ を待つうちこそうき なれ。

お七は次第に恋い焦がれるようになって、 「あの若衆様はどうしたお方でしょう」 と、納所なっしょ 坊主ぼうず に尋ねたところ、 「あれは小野川吉三郎殿と申して、ご先祖は由緒ゆいしょ 正しいご浪人ですが、それはそれは優しくて、情けの深いお方でございます」 と話してくれたので、お七はいっそう恋心がつのって、ひそかに恋文を書き、人目を忍んで届けたところ、恋文の書き手が入れ替わって、結局、吉三郎のほうからも胸の思いを数々書き連ねた文を届けてきた。恋い慕う気持が互いに入り乱れて、こういうのを相思相愛というのであろう。双方ともに相手に返事をするまでもなく、いつとなく深い恋人・恋われ人になり、会うべき機会を待っているうちが、二人にはままならぬ憂き世というものである。

大晦日おほつごもり は思ひの間に暮れて、明くれば新玉あらたま の年のはじめ、女松めまつ男松をまつ を立て飾りて、こよみ 見そめしにも、姫はじめをかしかりき。されどもよき首尾しゅび なくて、つひに枕も定めず、君がため若菜祝ひける日もをは りて、九日、十日過ぎ、十一日、十二、十三、十四日の夕暮、はや松の内も皆になりて、甲斐かひ なく立ちし名こそはかなけれ。

大晦日おおみそか は物思いのやみ に暮れ、一夜明けるとあらたまの年の始め、門には女松と男松と並べて飾り立て、新しい暦を見ても姫はじめと書いてあるのがおかしかった。けれども二人はよい機会がなくて、ついにまくらかわ すこともなく、 「君がため春の野に出でて」 と歌に まれた若菜を祝う日も終わり、九日、十日もすぎ、十一日、十二、十三、十四日も夕暮れ、もはや松の内も終わりになって、むなしく浮名ばかりが高くなったのもはかないことであった。

『井原西鶴集 一』 佼注・訳者;暉峻 康隆・相賀 徹夫 発行所:小学館 ヨリ
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