〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-V』 〜 〜
恋 草 か ら げ し 八 百 屋 物 語

2012/07/17 (火) おほ せつ は 思 ひ の やみ (二)

ここに、本郷ほんがうほとり に、八百屋やほや 八兵衛とて売人ばいにん 、昔は俗姓ぞくしやう いや しからず。この人ひとりの娘あり、名はお七といへり。年も十六、花は上野うへのさかり 、月は隅田川すみだがは の影清く、かかる美女のあるべきものか。都鳥その業平なりひら に、時代ちがひにて見せぬ事の口惜くちお し。これに心を掛けざるはなし。
ここに本郷の辺りに八百屋八やおや 兵衛という商人があった。昔は素性すじょういや しからぬ人で、この人に一人の娘があり、その名をお七といった。年も十六、花にたとえるなら上野うえの の桜の花盛り、月ならば隅田すみだ 川に映る影清く、こんな美人も世にあるものであろうか、東下あずまくだ りの美男業平なりひら に時代違いで見せられないのが残念で、この女に思いを寄せない男とてはなかった。
この人火元ひもと 近づけば、母親につき添ひ、年頃頼みをかけし旦那寺だんなでら駒込こまごみ吉祥寺きちじやうじ といへるに行きて、当座とうざ の難をしのぎける。この人々に限らず、あまた御寺みてらかけ 入り、長老様ちやうらうさま寝間ねま にも赤子泣く声、仏前に女の二布ふたの の物を取りちらし、あるいは主人を踏みこえ、親を枕とし、わけもなく しまろびて、明くれば、鐃?ねうはちどら手水盥てうづだらひ にし、お茶湯天目ちやたうてんもく も、かり飯椀めしわん となり、このうち の事なれば、釈迦しやか も見許し給ふべし。
このお七も火の手が近づいたので、母親に付き添うて、かねがね帰依きえ していた旦那寺だんなでら駒込こまごみ吉祥寺きちじょうじ という寺に行って、さしあたっての難儀をしのいだのであった。この人々に限らず、大勢の者がお寺に駆け込んだので、長老様の寝間に赤子の泣く声がするやら、仏様の前に女の腰巻を取りちらすやら、あるいは主人を踏みこえて行く者もあれば、親を枕にして眠る者もあり、ごたごたの中にごろ寝して、夜が明けると、鐃?にょうはちどら を持ち出して手水盥ちょうずだらい の代用にしたり、お茶湯天目ちゃとうてんもく も当座の仮の飯椀めしわん になり、もったいない事であったが、こんな騒動の中の事であるから、お釈迦しゃか 様もそこは大目に見てくださるであろう。
『井原西鶴集 一』 佼注・訳者;暉峻 康隆・相賀 徹夫 発行所:小学館 ヨリ
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