ここに、本郷
の辺ほとり に、八百屋やほや
八兵衛とて売人ばいにん 、昔は俗姓ぞくしやう
賤いや しからず。この人ひとりの娘あり、名はお七といへり。年も十六、花は上野うへの
の盛さかり 、月は隅田川すみだがは
の影清く、かかる美女のあるべきものか。都鳥その業平なりひら
に、時代ちがひにて見せぬ事の口惜くちお
し。これに心を掛けざるはなし。 |
ここに本郷の辺りに八百屋八やおや
兵衛という商人があった。昔は素性すじょう
も賤いや しからぬ人で、この人に一人の娘があり、その名をお七といった。年も十六、花にたとえるなら上野うえの
の桜の花盛り、月ならば隅田すみだ
川に映る影清く、こんな美人も世にあるものであろうか、東下あずまくだ
りの美男業平なりひら に時代違いで見せられないのが残念で、この女に思いを寄せない男とてはなかった。 |
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この人火元ひもと
近づけば、母親につき添ひ、年頃頼みをかけし旦那寺だんなでら
、駒込こまごみ の吉祥寺きちじやうじ
といへるに行きて、当座とうざ
の難をしのぎける。この人々に限らず、あまた御寺みてら
に駆かけ 入り、長老様ちやうらうさま
の寝間ねま にも赤子泣く声、仏前に女の二布ふたの
の物を取りちらし、あるいは主人を踏みこえ、親を枕とし、わけもなく臥ふ
しまろびて、明くれば、鐃?ねうはち
・鉦どら を手水盥てうづだらひ
にし、お茶湯天目ちやたうてんもく
も、仮かり の飯椀めしわん
となり、この中うち の事なれば、釈迦しやか
も見許し給ふべし。 |
このお七も火の手が近づいたので、母親に付き添うて、かねがね帰依きえ
していた旦那寺だんなでら 、駒込こまごみ
の吉祥寺きちじょうじ という寺に行って、さしあたっての難儀をしのいだのであった。この人々に限らず、大勢の者がお寺に駆け込んだので、長老様の寝間に赤子の泣く声がするやら、仏様の前に女の腰巻を取りちらすやら、あるいは主人を踏みこえて行く者もあれば、親を枕にして眠る者もあり、ごたごたの中にごろ寝して、夜が明けると、鐃?にょうはち
や鉦どら を持ち出して手水盥ちょうずだらい
の代用にしたり、お茶湯天目ちゃとうてんもく
も当座の仮の飯椀めしわん になり、もったいない事であったが、こんな騒動の中の事であるから、お釈迦しゃか
様もそこは大目に見てくださるであろう。 | 『井原西鶴集
一』 佼注・訳者;暉峻 康隆・相賀 徹夫 発行所:小学館 ヨリ |
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