〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-V』 〜 〜
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2012/07/16 (月) おほ せつ は 思 ひ の やみ (一)

ならひ風はげしく、師走しはす の空、雲の足さへ早く、春の事ども取急とりいそ ぎ、もち つく宿やどとなり には、小笹おざさ 手毎てごと煤掃すすはき するもあり。天秤てんびん のかねさえて、取遣とりや りも世の定めととていそがし。棚下たなじた引連ひきつ れ立ちて、 「こんこん小盲こめくら に、お一もん 下されませい」 の声やかましく、古札ふるふだ をさ め、雑器売ざつきうりかや ・かち栗・鎌倉かまくら 海老えび通町とほりちやう には破魔弓はまゆみ出見世でみせ新物しんぶつ足袋たび雪踏せつだ 、 「足を空にして」 と、兼好かねよし が書出し思ひあは せて、今も世帯持せたい つ身のいとまなき事にぞありける。

東北ならい 風が激しく吹いて、師走しわす の空は雲の行き交いさえせわしく、人々は正月の用意をあれこれ取り急ぎ、もち をつく家の隣では、手に手に笹竹ささだけ を持って煤掃すすは きをする家もある。銀貨をはかる天秤てんびん の針口をたたく響きも え渡って、大節季のお金の遣り取りをするが、これも世のきまりなのでせわしいことである。店の軒下を乞食こじき どもが連れ立って、 「こんこん小盲こめくら にお一文下されませ」 という声もやかましく、古札納め、雑器ざつき 売り、かや ・かちぐり鎌倉かまくら 海老えび を売り歩く声、通町とおりちょう には破魔弓はまゆみ を売る出店、仕立ておろしの着物・足袋たび雪踏せった の店まで並び、 「足を空にして」 と兼好法師が大晦日おおみそか のさまを書いているのに思いを合わせて、昔も今も世帯もつ人々の年の瀬はちょっとの暇もないことである。
はやおしつめて二十八日の夜半やはん に、わやわやと、火宅くわたくかど は、車長持くるまながもち 引く音、葛籠つづら懸硯かくすずり 、肩に掛けて逃ぐるもあり、穴蔵あなぐらふた とりあへず、軽物かるものなげ 込みしに、時の間の煙となって、焼野やけの雉子きぎす を思ふがごとく、妻をあはれみ、老母をかなしみ、それぞれの知るべの方へ立退たちの きしは、さらに悲しさ限りなかりき。
もはや押しつまった暮れの二十八日の夜中に火事が起こった。がやがやと、焼ける家の前を、車長持を引いて行く音、葛籠つづら懸硯かけすずり を肩に掛けて逃げて行く者もある。穴蔵あなぐらふた を取る間も遅しと絹物類を投げ込むが、それもたちまち煙となって、焼野の雉子きぎす が子を思うように、人々は子を思い、妻をあわれみ、老母をいたわるながら、しれぞれ縁故を頼って非難していったのは、まったく悲しい限りであった。
『井原西鶴集 一』 佼注・訳者;暉峻 康隆・相賀 徹夫 発行所:小学館 ヨリ
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