〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-V』 〜 〜
姿 姫 路 清 十 郎 物 語

2012/07/13 (金)  命のうちの七百両の金 (一)

何事も知らぬが仏、お夏、清十郎がはかなくなりしとは知らず、とやかくもの思う折節おりふし 、里の童子わらんべ の袖ひき 連れて、 「清十郎殺さばお夏も殺せ」 とうたひける。聞けば心にかかりて、お夏育てしうば に尋ねければ、返事しかねてなみだ をこぼす。さてはと、狂乱きやうらん になって、 「生きて思ひをさしやうよりも」 と、子供の中にまじはり、音頭おんどう とつてうたひける。
皆々、これを悲しく、さまざまとめても止みがたく、間もなくなみだ 雨降りて、 「むかひ通は清十郎でないか、かさ がよく似た、菅笠すげかさ が、やはんはは」 のけらけら笑ひ、うるはしき姿、いつとなく取乱とりみだ して狂ひ出ける。ある時は山里に行き暮れて、草のまくら に夢を結べば、そのままに、つきづきの女も、おのづから友乱れて、後は、皆々乱人らんじん となりにけり。

何も知らぬが仏、お夏には清十郎の死が伏せられた。が、ある日物思いにふけっているとき、町の子供らが連れ立って、 「清十郎殺さばお夏も殺せ」 と歌うのが耳に入った。気にかかってならず、この人ならば正直に教えてくれよう、と自分を育てた乳母にわけを尋ねると、返事しかねて涙をこぼすばかりである。
さてはやはりと、事情を悟ったお夏は、頭に血がのぼって我を失い、子供の中に交じって、 「生きて思いをさしょよりも」 と、音頭をとって歌い歩いた。人々がこの狂態をかなしみ、さんざんに思いとどまらせたがとどまる気配もなく、絶え間なく涙雨をふらせながら、 「むかい通るは清十郎ではないか、笠がよく似た、すげ笠が・・・・・やはんはは」 と歌うかと見れば、けらけらと気ちがいじみて笑い、美しい姿が崩れてだいなしになった。そしてある時は、山里に行き暮れて、草を枕に寝るほどの取り乱しようなので、つれて側近の召使いたちまでがおかしくなり、しだいににんなが狂乱状態に陥った。

清十郎年頃としごろ 語りし人ども、 「せめてはその跡残しおけ」 とて、草芥さうがい を染めし血をすすぎ、かばねうづ みて、しるしに松柏まつかしは を植ゑて、清十郎づか といひ触れし。世の哀れはこれぞかし。

一方、清十郎と長く親しんだ者たちは、墓を建てられぬまでもせめて死跡の記念をしようと、とりより相談して、処刑の時草や土を染めた血潮を洗い清め、死体を地にうすめ、目じるしに松や柏の樹を植えて、清十郎塚といいならわした。世の哀れをとどめる話である。

『現代訳 西鶴名作選』 訳者:福島忠利 発行所:古川書房 ヨ リ
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