お夏の心配したように、清十郎の身に不幸がふりかかった。寝耳に水の町奉行所の召し出しをうけると、思いもよらない嫌疑がかかってきたのだ。但馬屋の内蔵の戸棚にあった小判七百両がなくなっているのを、これはお夏に盗み出させて、清十郎が持ち逃げしたとしての詮議である。 もとより無実だったが、さきごろいらいの事情のもとに清十郎の立場が悪く、申し開きが立ちかねて、罪を負わされ、あわれにも二十五歳の四月十八日に処刑されて命を失った。さてもはかない世の中よ。清十郎の刑死を見た人びとの、袖をぬらす涙は夕暮れの村雨におとらず、惜しみ悲しむ声は天地に満ちた。 しかるに、こともあろうに、そのあと六月初旬但馬屋において虫干しをしたところ、例の七百両の金子の置き場所がかわっていて、内蔵の長持ちの中から出て来たという。但馬屋の主人がもっともらしい顔つきで、
「物事には念を入れるべきだ」 と語ったと、伝える。 |