〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-V』 〜 〜
姿 姫 路 清 十 郎 物 語

2012/07/12 (木) 状箱じやうばこ は宿に置いて来た男 (一)

乗りかかつたる舟なれば、飾磨しかま よりくれ を急ぎ、清十郎、お夏を盗み出し、 「上方かみがた へ上りて、年浪の日数ひかず を立て、憂き世帯せたい もふたり住みならば」 と思ひ立ち、取りあへずもかり衣、浜びさしのかす かなる所に舟待ちをし、思ひ思ひの旅用意、伊勢参宮の人もあり、大坂の小道具うり 、奈良の具足ぐそく 屋、醍醐だいご法印ほういん 、高山の茶筅師ちやせんし丹波たんば蚊屋売かやうり 、京の呉服屋、鹿島かじま言触ことふれ 、十人よれば十国とくに の者、乗合舟のりあひぶね こそをかしけれ。

乗りかかった船とはまさにこのことで、しめしあわせたお夏と手に手をとって、清十郎は日の暮れ方を飾磨津へ急いだ。貧乏所帯でも二人きりの生活なら楽しいと、にわかの旅支度をしたのであり、上方に上るべくいま飾磨津の浜小屋で船出を待つ。
そこには同じ船待ちをする人びとがいて、旅支度はそれぞれ思いのままだ。伊勢参りの人もあれば、大阪の小道具売りや奈良の具足屋もまじっている。醍醐の山伏・大和高山の茶筅師・丹波の蚊帳売り・京の呉服屋に鹿島神宮の神占いまでそろっていて、十人寄れば十色のたとえ通り多様で個性的ふぁから、乗合船とはおもしろいものだ。

船頭声高こわだか に、 「さあさあ出します、めいめいの心祝ひなれば、住吉様へのお初尾はつを 」 とて、しゃく 振って、又頭数あたまかず よみて、 むも呑まぬも七文づつの集銭しゆせん 出し、燗鍋かんなべ もなくて、小桶こをけ汁椀しるわん 入れて、飛魚とびうを のむしりさかな取急とりいそ ぎて三盃さんばい 機嫌きげん 、 「おのおののお仕合しあは せ、この風、真艫まとも でござる」 と、帆を八合もたせて、はや一里あまりも出し時、備前びぜん よりの飛脚ひきやく横手よこて をうつて、 「さても忘れたり。刀にくくりながら、箱状を宿に置いて来た」 男、いそかた を見て、 「それそれ、持仏堂ぢぶつどう の脇にもたし掛けて置きました」 とどやきける。 「それがここから聞ゆるものか。あり様にきん玉があるか」 と、船中声々にわめけば、この男、念を入れてさぐり、 「いかにもいかにも二つござります」 といふ。いづれも大笑ひになって、 「何事もあれぢやもの、舟をもどしてやりやれ」 とて、、かぢ 取り直し、みなとぢ に入れば、 「今日けふ首途かどで しや」 と、皆々腹立ふくりつ して、やうやう舟みぎは に着きければ、姫路ひめぢ より追手おつて の者、ここかしこにたち さわ ぎ、 「もし、この舟にありや」 と、人改めけるに、お夏、清十郎かくれかね、 「悲しや」 といふ声ばかり、哀れ知らずども、これを耳にも聞き入れず、お夏はきびしき乗物のりもの に入れ、清十郎はなは をかけ、姫路ひめぢ に帰りける。又もなき歎き見し人、不便ふびん をかけざるはなし。

間もなく船頭が声高に、 「さあ、船を出します」 といいつつ客を乗り込ませ、おもむろに 「船神住吉様へのごめおめいの心祝いにどうぞ」 と、賽銭を受ける柄杓をふろまわし、頭数をよみまがら、飲む者も飲まぬ者も一様に七文ずつの割り前を出させた。そして、酒の燗までするのではなかったけれど、飛び魚の干物に汁椀をそろえてみんなにすすめ、いそがしい酒盛をした。
こうしてほろ酔い機嫌になったところで、船頭は 「皆さん方のおしあわせなことに、風は追い風でござる」 と言って、帆を八分目に張って船出し、はや一里 (約四キロメートル) あまりも沖に出たとき、備前よりの飛脚がはたと手を打って、 「はて、大事の忘れ物をした。状箱を刀にくくりつけたまま宿に置いて来た」 と磯をふりかえり、 「それそれ、持仏堂のわきにもたせかけて置きました」 とさけんだ。
「ここからさけんだとて、聞えるはずがあるまい。お前さん睾丸はあるのか」 と、船中人がからかうと、この男は念を入れてさぐり、 「いかにも玉が二つござります」 と答える。一同大笑いになって、 「何事もあのとおりのとんまな男だから、やむを得ないでしょう。船を戻してやりなされ」 と言う者があらわれた。
船頭が楫をとりなおして、船は飾磨津に舞い戻ったが、さすがに入港してみると客はみな腹が立ってきて、 「今日はほんに縁起が悪い」 と、はきすてた。
ようやく船が岸に着くと、先程から岸で立ち騒いでいた姫路からの追手の者どもが乗り込んできて、船客をひとりずつ吟味した。こうなっては、お夏も清十郎も隠れる術がなく、 「悲しい。無念じゃ」 と泣くばかり。が、情けを知らぬ追手どもは、そんな泣き声など耳に入れず、お夏は警戒厳重な乗物に乗せ、清十郎には縄をかけて、姫路へ連れ帰った。
両人が捕まるさいのこの上ない愁嘆場を目撃した人たちは、例外なくあわれみをかけたものだ。

『現代訳 西鶴名作選』 訳者:福島忠利 発行所:古川書房 ヨ リ
Next